2014年に読んだ本から何冊か

 

2015年も1ヶ月が過ぎた今になってこんなことをやってみる。

一年間に読んだ本をざっと見返しながら目についたものをつらつらと。目に留まる=印象が強かったものには何らかの理由があるということで。読んだ本に関してはブクログで自分用の感想を残しているので,そこから引用したり加えたり。順番には特に意味なし。何となく。

 

(1)わたしのウチには、なんにもない。「物を捨てたい病」を発症し、今現在に至ります/ゆるりまい


わたしのウチには、なんにもない。 「物を捨てたい病」を発症し、今現在に至ります

わたしのウチには、なんにもない。 「物を捨てたい病」を発症し、今現在に至ります

 

まずはコレ。読んだわたしも「物を捨てたい病」を発症。ちょうど物を整理せざるを得ない状況にあったことから手に取ったのもあるけれど,読んだ後そのまま欲を満たすことができた。最高。隠すのではなく見せること前提で物の配置を考えると楽しいし,あと欲しいものに対して熟考するようになった。どこに置こうか,あれと並べても変じゃないか,一時的じゃなくてこの先ずっとこのポジションが可能か(位置や用途という意味で)とか。一度減らすとそれ以上増やすことに抵抗を覚える。あと「死ぬときは何も持っていけないし」なんてことが頭をよぎると加速する。結構これが捨てる/捨てないの線引きになる。かたちとして残しておきたいもの,物がなくても記憶さえあれば十分だと思うもの,見返すことなんてほとんどなくても「それが手元にある」という事実が大切なもの。

 

(2)舞台/西加奈子


舞台

舞台

 

「現代版『人間失格』(少し軽め)」と思っていたら,少し前に番組で「現代版『人間失格』」と紹介されていて,同意よりちょっと悔しさ。わたしも思ってたから!みたいな。もともとそういう話だし発売時に(わたしが知らなかっただけで)すでに使われていたことかもしれないけれど。葉太は葉蔵であり,わたしは葉太であり葉蔵だ。

 

(3)サラバ!西加奈子


サラバ! 上

サラバ! 上

 
サラバ! 下

サラバ! 下

 

サラバ!」なんて完璧な言葉。圷歩というひとりの人生をなぞる物語。それは決して特別な人生ではなく(どこで生まれようが姉がどうであろうが)誰でも自分の人生で本を一冊書くことができると言われるように,生まれた頃から辿ればこれくらいの分量になるだろう,それがまさしく形になった物語。圷歩はわたしであると同時に,姉も,母親も父親も,矢田のおばちゃんも須玖だってわたしのどこかにいると思う。最後は読みながらとても満ち足りた,幸せな気持ちになった。金色に輝く眩しい世界を思い描く。最後の一文まで読んでこそ,「ああ,これは圷歩の物語だ」と満たされる。下巻を読んだのは今年に入ってからだけれどまあいいや。

 

(4)豆の上で眠る/湊かなえ


豆の上で眠る

豆の上で眠る

 

こういうのを待ってたーーー!!わたしの中では「告白」(というより「聖職者」)と同じものが味わえた満足感。明らかになった真相の衝撃そのままに突き放されて後味の悪さが塗り重ねられるこの感覚。けれどもそれは単なる事実の暴露ではなくそこにうごめく人々の心情が重くのしかかってくる。本もの。

 

(5)光秀の定理/垣根涼介


光秀の定理 (単行本)

光秀の定理 (単行本)

 

これが「歴史"小説"」の面白さなのだろうなと。光秀を中心に据えながら主人公は新九郎。そして新九郎に影響を与える愚息。由緒正しき血筋の幕臣と兵部者と坊主。語る者が違えば浮かび上がる人物像も異なり,相手が異なれば見せる自分も違ってくる。真面目で不器用な光秀が好きになった。光秀の最期は揺るがないものだけれど,終わり方がとてもいい。じめっとしていなくて、でもしっとりと何かを残して読み終わる話だった。表舞台に立つ者、演じる者とそれを観る者。

 

(6)黙示録/池上永一


黙示録 (単行本)

黙示録 (単行本)

 

琉球の華やかさ、芸能に特化した国策、主人公の了泉をはじめ強烈なキャラクター、民衆の活気、そして神とのつながり、神秘。読み応えがあった。始めは琉球の文化(言葉も含めて)に馴染むまでなかなか入り込めなかったけれど、途中からどんどん引き込まれた。文字から思い描く了泉の舞。映像はないのに圧倒され,すがすがしさを抱く。誰かが描いた世界から変換された文字を別の人が読み,そこに世界を創り上げて泣き,笑い,胸を震わせる。これだから小説はすごい。

 

(7)風渡る/葉室麟


風渡る

風渡る

 

九州出身の葉室さんが縁ある黒田官兵衛を描く。腹の内は決して見せずに策を巡らせ誰かに影響を与えながら,一方で風のように渡ってきたキリスト教の国,すなわち風の王国をつくることを志す。「風の王国」と合わせて葉室さんが描くシメオンがかなり好き。

 

(8)あとかた/千早茜


あとかた

あとかた

 

初めて読んだ作家さんだけれど,読み始めてすぐにこの文章好きだなと思った。するすると自分の中に入っていく。とても感覚的な言葉がたくさんで,でもそれがわずらわしくなくて綺麗だった。かたちにならないもの,残らないもの,遺したいもの,遺すという感覚がないもの。

 

(9)左目に映る星/奥田亜希子


左目に映る星

左目に映る星

 

自分だけだという孤独感、奢り、だから同じ感覚を持った人に共鳴する。それはわたしが本を読む理由。この孤独感を共有できる人がいたときに感じる嬉しさと安堵,と同時にわたしだけじゃなかったという落胆。相手が変わると裏切られたように思う。早季子が吉住くんに対して思ったように,わたしもまた変化した早季子に裏切られた気持ちになった。わたしの観ている世界とあなたが観ている世界。片目を瞑って乱視の目だけで世界を見てそのぼやけた世界に心を落ち着ける、というのがいい。

 

(10)スペードの3/朝井リョウ


スペードの3

スペードの3

 

朝井さん何なの,どうしてこんなに女子の気持ちがわかるの。ちなみにわたしが好きな朝井さんの小説は,「星やどりの声」「世界地図の下書き」です。つまりそういう小説。

 

(11)むこうがわのあのこ/ジャクリーンウッドソン,E.B.ルイス


むこうがわのあのこ

むこうがわのあのこ

  • 作者: ジャクリーンウッドソン,E.B.ルイス,Jacqueline Woodson,E.B. Lewis,さくまゆみこ
  • 出版社/メーカー: 光村教育図書
  • 発売日: 2010/12
  • メディア: 大型本
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ちょっと絵本でも。図書館で立ち読みしたもの。「(柵の)むこうがわ」「(私たちとは異なる)むこうがわ」,目に見える柵,見えない隔たり,作られた隔たり,隔たりに使われる柵。子どもたちにとっての柵の存在,捉え方の変化の描かれ方がいいなあと思った。今年は絵本をたくさん読もうかな。

 

(12)帰ってきたヒトラー/ティムールヴェルメシュ


帰ってきたヒトラー 上

帰ってきたヒトラー 上

 
帰ってきたヒトラー 下

帰ってきたヒトラー 下

 

ヒトラー現代に復活!Er ist wieder da!彼再び。楽しい,これは楽しい。なんて魅力的なヒトラー,あ,でもあのヒトラーだった・・・(困惑)というループ。でも作者が語ったように「人間アドルフ・ヒトラーに人を引きつける力があきらかにあったという視点」に立ったときに感じるもの,その魅力に溢れている。70年の空白による文明の発達や文化の変わり様への突っ込みが容赦ないのだけれどそれがおもしろくて、しかもどこまでも論理的に物事を考えて解釈してしまってこっちも納得してしまう。適応力と理解力、そして吸収力でこの現代を捉えてしまうあたり,もはやかっこいい。ヒトラー強い。しかしアドルフ・ヒトラーその人は,アドルフ・ヒトラーに完全になりきった芸人だと思われているから会話が噛み合わない。なのに成立している。何度笑ってしまったことか!絶対悪を違う面から描いてみるということ。フィクションだから出来ることであり思う存分楽しむことが出来ること。

 

(13)夢を売る男/百田尚樹


夢を売る男

夢を売る男

 

図書館に1番でリクエストして新刊を読む,というブロガーに思わず笑ってしまった。それわたし!1日の平均読書時間は13分で,それは雑誌や漫画も含まれるから小説を読んでる時間にすると・・・だって。本を書く人,読む人,出版業界への皮肉だらけ,そもそも小説読まない人はこの本読んでない。この文章を目にしているのは小説を読む人だというおかしさ。

 

(14)ソロモンの偽証/宮部みゆき


ソロモンの偽証 第III部 法廷

ソロモンの偽証 第III部 法廷

 

2014年の本命かもしれない。わけもわからず泣いて泣き疲れた。第Ⅰ部はただただ嫌な気持ちにしかならなくて苦痛だったけれど,同級生の心情や今まで見えてこなかった姿,明らかになってくる事実,そして被告人の変化。第Ⅱ部からどんどん引き込まれて開廷してからの第Ⅲ部はただただ息も詰まる思いで夢中で読んだ。そしてひたすら泣いた。泣き所とかわかりやすい描写があったわけでもなく今もどこで泣いたかあまり思い出せないほどなのだけど,それまでの過程,色々な生徒の視点を見てきたからなのか気付けば涙が流れて止まらなかった。裁判関係者,中学生の心情が絡み合い揺れ動いてうねりとなる。「いい本=泣く本」なんて図式には興味ないけれど,泣くからには感情を揺さぶる何かがあると思っている。「なぜかわからないけれど込み上げるものがあった」という感覚が最近好きで,それって単なる言葉に感動したのではなくて,それまで追ってきた物語が自分のものとしてすでにそこにあり,その上で次の展開が引き金となって揺さぶられたということであり,それぐらい自分の中に取り込んでいたということだと思うから。ひとつの事件をきっかけに動いてきた中学生の心情,見てきた言動,その上で出された言葉,見えていなかった心情,行われた決断。そういうひとつひとつに揺さぶられ,様々な感情を体感し,泣きじゃくり,読み終えた後しばらくその心地いい疲労感から抜け出せなかった。

 

 


 

有名どころが並びますね。そういうのを優先的に読んでいるので当たり前なところもあるけれど,やっぱり人気のある作家さんはおもしろい,というのもまた事実。そして本当に目に留まったものを並べただけなので(14)で終了。本は読む方だとは思うけれど,「オススメ!」とか「ランキング発表!」という形式をとるほどには読んでいないと思うし,そもそも小説って自分にとってどうだったか,というのがあるから。そういう意味では,読んだ数に限らず,売れている本であろうがなかろうが,自分にとっての順位付けはあるだろうけれど。その本を読んでいるときのわたしの年齢含め,それまでの経験やそのときの状況によって感想もだいぶ左右されるだろうし。

今年は①翻訳小説,②本棚から目に留まったものを直観で,③絵本,なんかを増やしたいなあ。