本を、読む。

 

本を読むことが好き。というより本が読みたい。ほとんど小説。

小説ってすごい。

単なる文字の羅列なのにそれを追っているうちにドキドキしたり苛々したり温かい気持ちになったりどす黒いものが湧き上がってきたりくすっと笑ったりほろりと涙を落としたり鼻水垂らしながらしゃくり上げてごみ箱ティッシュでいっぱいになったり。文字の羅列なのに。

小説を読むときの表現として「様々な人の人生を体験できる」と言われるけれど,わたしの中では「人生をなぞる」という感覚。主人公になりきるというよりは同じ目線のあくまで傍観者。自分の体感として起こる出来事に感情揺さぶられることもあるのだけど,そこにあるのは別の誰かの人生。その人の思考や言動を辿っていく。距離感は様々でぴったり寄り添うこともあればすごく離れたところから眺めていることもある。それがいわゆる共感するかどうか。

そしてなぞるにしても眺めるにしても小説のすごさは,それがどんな人であってもいいということ。あらゆる場所のあらゆる人を追うことができる。過去,現在,未来,どこにあるかわからない場所,刑事,探偵,犯罪者,被害者,子ども,主婦,中年男性,老人,死者,どこにいるかわからない人,地方都市の女子,辞書編纂に携わる青年,学校のカースト制度の中で自分の立ち位置を見極める高校生,少しずつ歯車が食い違っていく理想の家族,首相暗殺の濡れ衣を着せられた青年,雪が降る日に校舎に閉じ込められた高校生,生きて帰ることに執着したゼロ戦パイロット,海賊の女頭,生徒を殺していく高校教師,魔法学校,衣装ダンスから足を踏み入れた獣が喋る国,人類の知能を越えた新種の人類との遭遇… 

小説は想像です,虚構です。エッセイじゃないからたとえモデルがあったとしても小説である限りその言葉はその小説の中でその人物が口に出すにふさわしいものとして構成されたもの。けれどもわたしはそこに現実を見る。読み手であるわたしは台詞を読んで初めてその人物が思考していたことを理解する。でもそれは現実でも同じ。わたしがわたし以外の人の思考や感情をそっくりそのまま経験することは不可能。その人にはその人なりの理屈があり世界の捉え方がある。知ることはできても理解できない,理解できても体感できない。なぜなら主体が違うから。だったら虚構の世界の人物の台詞も現実世界の他人の台詞もわたしにとっては同じこと。何なら直接思考や感情を覗いている小説の方が正確に理解できている。誰かが何かを思考している,感じている。わたしも何かを考え何らかの感情を抱いている。

人はスペクトラム。連続体。殺人者は殺人者として生まれたわけではなく様々な何かを経て思考し感情を抱いて殺人を犯す。ある日突然殺人者になるのではない。断絶はない。わたしがこの先殺人者になったとして,そこから振り返ったときの今この状況は連続の過程に組み込まれる。人は常に変化している。わたしはこの先ずっとわたしだけれど,一秒後のわたしは今よりも一秒多く生きているという点で今のわたしと同じではないし,新たな何かを考えた,感情を抱いたのならもうそれはそれを生まなかった前のわたしとは異なるし,同じようにまわりの環境も同じではないし関わる人もそうやって変化していくのだから同じわたしが存在し続けることなんて出来ない。変化の連続。連続の中で生まれる思考,感情,言動。それは小説の中でも同じ。1ページ目の人物と最終ページの人物は同じではない。その中で生まれる思考,感情,言動。それは現実のわたしと同じ。何かを考える,感情を抱く,行動する,経験する。そこで起こっていることは現実と同じ。たとえそれが織田が天下賦布を掲げた時代の海賊であっても,人類の知能を越えた新種の人類が発見された世界であっても,魔法界であっても獣が言葉を話す国であっても,誰か(人間以外も含む)が思考し何かを感じ行動するのは同じ。だからそこに現実を見る。現実を見るから自分と重なるものに反応する。今,『傲慢な婚活』(嶽本野ばら)を読んでいて,いやいやいや!って思わずに読み進めることはできないのだけど,阿琶の人生観,世界の捉え方,理屈に自分と同じものを見たりもする。そこから連続させるとこういう道もあるのだと。連続を追うことで今まで宙に浮いていた異質なものがどこかの延長だと思えるようになる。そういう道もどこかにはあるのだと。

 

わたしが本を読むのは,その物語を読んで自分がどう思うか,何を感じるかを知りたいと思うから。そしてわたしが抱えているものが現れると嬉しくなる。同志なのか片割れなのか,わたしがここにいたって思う。葉蔵とか葉太とか理帆子とか。全篇通しての主人公でなくても誰かの言葉にも。わたしは色々なところで狂っているというか,平均から外れているという意味で普通ではない部分がたくさんあると思っていて,だからそういう部分を物語の中に見つけると少し安心すると同時にがっかりもする。きっとそれは特別な自分に酔っているところがあるから。突き詰めるとその台詞を言わせている作家の中にすでにあるものだと思うとより現実的になって,こんなこと考えている人は実際少なくないのかもしれないなと思ったり。『終わり続ける世界のなかで』(粕谷知世)は伊吹の感覚がもうまさにわたしのそれだったから驚いた。状況は未知だけれどもそこで生まれている思考,感覚はわたしが持っているものとかちりと合わさる。でも最後は(わたしからすれば)綺麗事になっていてちょっと不満!同じもの抱えていたのに抜け駆けされた気分!結局,こっち側の人間じゃなかったのね,あなた変わってしまったわ!と身勝手な責めを負わせたくなる。そしてこの小説を読んでおもしろかったところは,レビューがぱっくりわかれていたこと。伊吹と同じことを考えたことがある人,ない人。完全にこの二択。あまりにも二極化していてなんかもうむずむずするくらいおかしかった。意味わからない!理解できない!って言っている人に,ああ,やっぱりそういう人もいるんだと優しい気持ちになりました。別にこちらが上だと言っているわけではなくて,何かを基準にすれば「あてはまる人」「あてはまらない人」が必ず出てくるという事実を噛みしめたというか。小説を読めば読むほど,自分の中のあれもこれも,意外とみんな思ってたことなのだなあと感じることが増えてくるから,ここまで「理解できません!」群が表出したことが新鮮で,自分が驚くくらいにはまり合っていただけにおかしかった。

 

もちろん,本を読んでおもしろかった!とかよかったなあとか思うのは全体のストーリーに対してで,自分が反応する言葉があったとかそれがどれだったかはわりと二次的だったりする。でもそういう感覚そのものを浮かび上がらせるように書かれているものは,それが自分と合わさるほど好きな本だなと思う。気付かずに涙が流れていて何でかわからないけれど涙が止まらない,その感覚も好きだし,あの人犯人じゃなかった!とか隣の隣はブータン人とか娘を生徒に殺された聖職者の告白で終わる章とか,予想を裏切られたり衝撃や驚きのある話も大好きだし,ボクサーと斉藤さんと夫婦と兄弟と化粧品会社の女子社員が少しずつ関わりあっていくようにじわじわとピースがはまる快感も,他のシリーズ出演者がひょっこり顔出す遊びも好き。そんな仕掛けなくそれこそまさに人々の変化を追うように描かれる物語も読みごたえがあって好き。謎がそのまま余韻を残して終わるものも,三月以外の転入生は破滅をもたらすと言われる学園のように現実から少し浮遊した世界観も,現実にはないけれど世界として確立されている物語もわくわくする。逆にもっと現実に根差していて知らなかった世界を知るのも発見がある。辞書編纂だったり林業だったり自衛隊広報室だったり。

「様々な人の人生を体験する」というよりは,「様々な世界を体験してみる」,それが楽しい。そしてそこで考え,何かを感じ,行動している人の人生をなぞってみたりする。すべての人にではないけれど,そこではまるもの,重なるものがあると嬉しくなったり,あの感覚はこういうことだったのかと新しい言葉を獲得してみたり,わたしの平凡さを認識したりしなかったり。わたしが一番興味あるのはわたしについてだから,この物語を読んでわたしはどう感じるのか,を知りたくて本を読む。『物語のおわり』(湊かなえ)はひとつの物語の捉え方,描かれていない真実,そしてそれを読む読者,という構造がすごいなあと思ったけれど,本当に同じものを知覚してもそこから感じること,考えることは人によって異なる。同じものなんてない。そして読めば読むほど,他人に対して「そんな人もいるもんだ」と思うようになるし,結局他人が表面に出していないものを理解することなんて出来ないんだって思ってしまう。そもそも出しているものが果たして本心かどうか疑うことから始まる病… だってみんな言ってることと考えてること違うじゃない!それはわたしも同じでそれが現実。

人には自分の世界観があって,その枠組みの中で物事を捉えている。何かアクションを起こすにはそこに至る連続性があって,一見奇怪な出来事にもその人なりの理屈があり理論があったり,自分ではどうしようもできなかった感情や思考が道筋を作っていたり。そんなスペクトラムとしての人生をなぞることができるのも醍醐味。文字の羅列なのに。そんな文字の羅列から自分が構成した世界に反射させて,また今日も自分自身を分析する。

 


 

今年読んだ本でおもしろかったのどれかなあ,色々読んだなあ,最近のわたしは何を基準に本を選んでるかなあ,なんてことを考え始めたら楽しくなってきて整理してみよう!と思って書き始めたのにどうしてこうなった。導入が本論になってしまった。いざ書いてみると言葉にするの難しくてうんうん言いながらやってた。楽しかったけど。漠然とだったり断片的にはずっと考えていたことだったから。

 


 

傲慢な婚活

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終わり続ける世界のなかで

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物語のおわり

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