2023年の15作品

 

いくつか。

 

1. SOPHIA LIVE 2023 "return to OSAKA"


9年半振りの生のライブ、色々なことを感じて考えた。

愛の讃歌で涙ぐみ、”毎日はいつも向かい風〜”って歌っていたら急に涙が出てきて、相変わらず刺さってくるなあって思った。一方で、感じ方捉え方が変わったなと思うこともあった。向日葵畑は圧巻で、この景色を私も見たいから向日葵を買うんだよなって思った。そこにいる一人ひとりが持たないと実現しない景色だし向日葵が風に揺れることもないから。

この日は、”生まれたときから罪深き僕らは”っていう歌詞に救われた。ああ、そうだよね、って。生きるって素晴らしい!と叫ばれるよりずっと救われる。生きるってしんどい、辛い。そこを基本にしてしまう方が楽に生きれるなってずっと考えてた。生きること、苦しむこと、愛すること、そういうものがずっと綴られてきていたなって。それぞれの楽曲にはそのときの5人の生が色濃く反映されていて、その楽曲に心を動かされてきた私がいるということ。曲を聴いて当時の記憶が蘇る、というよりそのときの感覚が蘇ってくることがいっぱいある。

 

 

2. 『宝飾時計』


美しくて複雑で幻想的で現実的。 みんな愛おしくて憎らしいのに憎みきれなくて複雑で面倒ででも泣いてしまう。あの感情はなんだったのだろう。

演劇は生きている演者と生きている観客が刹那的に交わる場所だからこそ、その時にしか生まれないものがある。何かが少しでも違えば生み出されるものも受け取るものも大きく変わってしまう。あれもこれも“今の私“だからこそ感じたことなのだろうな。あちこちで涙が出て大変だった。登場人物たちの言動に心を動かされているようで、実際には自らの内側を暴かれたことによる涙だったのかもしれない。結局、何かを見て心を動かされるときの主体は自分なのだから、自分抜きにして語ることはできず、“今の私“が何を思ったかに帰結するということなのだと思う。

私も本当の気持ちを言えないし自分のことで精一杯。米は作っていないけれど他人から見たら無難に生きているのかもしれない。

 

 

3. MANKAI STAGE『A3!』ACT2! ~WINTER 2023~


オペラ座にいた。

原作の世界観とエーステの繋がりと演者の生が一つの作品としてこんなにも綺麗に成立するのだということ、時間は前にしか進まないけれどその瞬間限りの芝居が積み重なっていくからこその変化があること、そして、“永遠なんてない、それでも“のあとに続く言葉を何度も考えてしまった。

MANKAI STAGE『A3!』ACT2! ~WINTER 2023~ 公式サイト

 

 

4. 舞台「文豪とアルケミスト 戯作者ノ奏鳴曲(ソナタ)」


かたちある文字によって残される文学を、かたちには残らない演劇で表現する。でも演劇はその瞬間の時間空間を共有できる。残された文学とこの瞬間の作者の生の両方を受け取ったからこその感動だったのかもしれない。文学を通して作者と繋がれるし他の読者とも繋がれるしこの演劇作品とも繋がれる。

かつて「人間失格」を読み始めてすぐ自分の内側を暴かれた羞恥を同じように感じたことは強烈な体験で、それこそが時代を超えて“文学で繋がった“ということなのだと思っている。「不良少年とキリスト」を読んだときに、そんなこと言われたらここで死んでやるのは悔しいなって思ったこともまた“文学で繋がっている“ってことなのだろう。

舞台「文豪とアルケミスト 戯作者ノ奏鳴曲(ソナタ)

 

 

5. OFFICE SHIKA PRODUCE「ダリとガラ」


ダリの言葉に己の個性のなさ想像力の乏しさを突き付けられて愕然としちゃった。

私は意図して目立たないように静かに平凡に生きている(そう生きたいと思っている)けれど、なんて個性がなく想像力がないんだ、って打ちのめされた。 「芸術はいつも歴史の被害者だ」という言葉。ここ数年間、色々な言い方で耳にしてきたことであり私もそう思っているけれど、それは今に始まったことではない、でも、だとするなら、それでも今もまだ芸術が生きていて私が触れることができていることこそが、芸術を必要とする人たちがたくさんいること、芸術の存在の強さの証明にもなるのではないかなとも思った。

演者がいない舞台セットそのものが一つの芸術作品みたいですごく好きだった。

OFFICE SHIKA PRODUCE 「ダリとガラ」 | 座・高円寺 春の劇場28 日本劇作家協会プログラム

 

 

6. 宮下貴浩×私オム プロデュース 第6回公演 舞台「わかば自動車教習所で恋を学ぶ」


“こんにちは。僕らは出会った…。“ 観劇後はこの言葉が胸に沁みる。

“こんにちは“のところがすごく好きだったな。カーテンコールの選曲がいいなって思った。 人と出会って影響を受けない与えないなんてことはないけれど、そのことに自覚的であるかどうか、そのことを認めるかどうかで変わることはたくさんあるはず。この作品と出会ってしまった私もまた影響を受けているに違いない。 劇場で体験したこと、自分の中に湧き上がった感情は、あとから映像を観ても再現されることはなくて記憶の中だけのものになってしまい、さらにその記憶はどんどん薄れていってしまうことが寂しくもあったけれど、その体験が今の私を作るひとつになっていると思うと明るい気持ちになれる。

わかば自動車教習所で恋を学ぶ

 

 

7. TRUMP series 15th ANNIVERSARYミュージカル『LILIUM -リリウム 新約少女純潔歌劇-』


放心状態で拍手した。幕が下りたあとの自分の状態って作品によって違うけれど、あんなにも、なことってなかなかない。結末を知っていてもそうなるのは、目の前で人が生きて言葉を交わして感情を放っていたからこそだろうし、それが生の演劇を観る醍醐味でもあると思う。

TRUMP series 15th ANNIVERSARYミュージカル『LILIUM -リリウム 新約少女純潔歌劇-』

 

 

8. 舞台『大正浪漫探偵譚-エデンの歌姫-』


入場時にもらった公演チラシを観劇後に見て息が止まった。知ることによって意味を持つもの。

舞台「大正浪漫探偵譚-エデンの歌姫-」公式サイト

 

 

9. NODA・MAP 第26回公演『兎、波を走る』


演劇ってすごい。演劇でこんなものをこんなふうに作り上げられることがすごい。観劇してよかった。でも二度は観られない。心を保てない。

兎、波を走る | NODA・MAP 第26回公演

 

 

10. 熱海殺人事件 バトルロイヤル50's


受け継がれてきたもの、にはどうしたって惹かれてしまう。

 

 

11. MANKAI STAGE『A3!』ACT2! ~SUMMER 2023~


最高の夏だった!!!!!!

その瞬間に生まれた感情や行為が受け渡されていく様を感じられるのは生の演劇ならではだなあって繰り返し感動した。見たもの聞いたもの触れたもの感じたことが”夏の思い出”としてぎゅっと固められて自分のどこかに仕舞われていて、今でも何かの拍子にぶわっと立ち上がる。

MANKAI STAGE『A3!』ACT2! ~SUMMER 2023~ 公式サイト

 

 

12. Sound Schedule Live tour『PLACE 2023』


再結成からもうこんなに経ったんだ、って毎回思う。12年かあ。この曲好きだなあとか、音楽いいなあとか、みんな楽しそうだなあとか、色々なことを思いながら身を委ねていた。私、サウスケをすごく好きだなあとか。色々な年代の人がいて、きっかけも様々だろうけれど、こうやってこの会場がいっぱいになるくらいに人が集まってリズムに乗って手を上げて身体を動かして歌って声出して、ってしていることがすごいなあって思ってた。

コンパスを歌いながらぼろぼろ泣いた。いつも涙ぐむけれど、今までこんなに泣いたことあったっけ?っていうくらい涙が止まらなかった。奮い立たせてくれる曲。

 

 

13. ホチキス第47回公演 「明後日のガラパゴス


演劇っておもしろい。演劇だからできること、その”演劇だから”を演者と観客が共有している感覚がとても心地よい。

ホチキス vol.47 明後日のガラパゴス 公演特設サイト

 

 

14. MANKAI STAGE『A3!』ACT2! ~AUTUMN 2023~


秋組それぞれの演劇をやる理由に触れるたび、なんで私は演劇が好きなのだろうって考える。エーステを観終えたあとはいつも演劇っていいなあって思う。

MANKAI STAGE『A3!』ACT2! ~AUTUMN 2023~ 公式サイト

 

 

15. iaku「モモンバのくくり罠」


選べないもの、選べるもの、変えられないこと、変えられること。“その人““私“をそうさせているものって何なのだろう。

私は、普通=多数でしかないと思っているから、普通ではないことが異常性に直結するとは思っていないし、単なる個人間の違いだと捉えている。それでも私自身が”普通であること”にずっとこだわってきた自覚もあるから、自分から見た世界と、他者から見られる自分との”ずれ”みたいなものも理解できると思う。

密度の高い空間で押しつぶされるような感覚を味わいたくて行ったら、自分の内側が膨張して破裂しそうになった。

iaku

 

*     *    *

  

 ”今”の私だから生まれた感情なのだろうなと思う。それはこれまでも同じだったはずだけれど、今年は特にそういうことを感じた。一年前、一年後の私だったらきっと違うことを思う。昨日とも明日とも同じとは言えないはず。そして、眼の前にいる人たちも毎日、毎公演違う。同じじゃない。生きている一人の人間としても、その人から生まれる芝居も、誰かと交わされる芝居も。だから、そのときその公演で私が感じたものは唯一無二のもので、あとにも先にも同じものが私の中に生まれることはないのだろうな。そう思うと、たまらなくなる。

 

どんな感情が生まれるのかは実際に観劇してみないとわからないけれど、どの作品を観るか選ぶとき、そこには理由が存在する。今年は、自分と重なる何かがあることを理由に観ることが何回かあった。たとえば主人公の年齢、性別、時代、文化。今振り返って思うと、そこが私と重なる作品ってこれまであまりなかった。少なくとも観てこなかった。今、そういう作品を知ると”みなきゃ”って思う。そういう作品を観ているあいだ、共感したり否定したり嫉妬したり、近しいからこそ色々な感情が渦巻いて、苦しさやしんどさも多くて気持ちを抉られる覚悟がいるけれど、むしろその体験をしたくて観に行っている。

 

観たいと思う作品も、観劇して思うことも、”今”だから。その時々で変わっていく。そして演劇は、公演期間を逃したらもう劇場で生で観られないし、一つ一つの公演も同じではないし、その瞬間の積み重ねで動いていくものだから、本当にその時だけの体験をしているなあと思う。どれほど興奮しても感動しても涙を流しても、その体験の記憶がどんどん色褪せていってしまうことがずっと寂しくもあったけれど、その体験は今の私を作るひとつになっている。その一方で、観劇したときのことが温度を伴って一瞬にして立ち上がることもある。ぎゅっと閉じ込められた思い出の蓋が開いて、中身が飛び出てくる感じ。作品の内容だけじゃなくそのときの私が感じたことも含めての観劇体験で、一度しかないそれを得たくて、劇場に足を運ぶのだろうなと思う。