2016年の小説11冊

 

「ご本、出しときますね?」お正月SPめちゃくちゃ面白かったですね!!!朝井さん,わたしも同じ本を選びました!!!

2016年はあまり本を読まなかったので,好きな作家さんの作品に偏りがちだったけれど,「ご本、出しときますね?」やら「アメトーーク」やらで読みたい本は増えました。いまは光浦靖子さんが紹介されていた『鳥打ちも夜更けには』を読んでいます。

 

 

 

1. クリスマスにさようなら/浅暮三文


クリスマスにさようなら

クリスマスにさようなら

 

タイトルと本の薄さ,表紙,そして開いたときのフォントに惹かれて読んだらとてもおもしろかった。こういう出逢いはとても嬉しい。静かな,でもきらきらとしたものを感じながら読み進めた物語だった。頁上の熊のシルエットの数が凝ってる。 

 

 

2. まく子/西加奈子


まく子 (福音館の単行本)

まく子 (福音館の単行本)

 

そんな気配まったくなかったのにもうあと数ページというところでぐっと詰まって涙が滲んだ。わたしたちは,他人を「馬鹿な人」「変な人」って一括りに捉えてしまいがちだけれど,何かの瞬間にいままでまったく気付かなかった一面が見えたりする。彼らの魅力は人間本来の優しさであり強さだ。わたしたちの粒はどんどん変わっていくから一瞬たりとて同じわたしたちはいない。教団Xを思い出す。あそこではもっと理論的に抽象的に語られていたことが,ここでは具体的に経験される。内側からわかるっていう感覚。慧はコズエとの経験を踏まえてソラに接していく。それって,慧はもうコズエと会う前の慧と同じではないから。冷めていて大人になるのが嫌だと思っていた慧。ずっと変わらない,粒も同じままのコズエ。相手をそのまま信じること,受け入れること。

寝る前に一気に読み終えてベッドの脇において電気を消したときの驚き。コズエがまいてきたものたちがそこにあった。西さんの小説はとても,あたたかい。

 

 

3. コンビニ人間村田沙耶香


コンビニ人間

コンビニ人間

 

常連のおばあさんが「ここは変わらないね」と言うたびに,商品も入れ替われば店員も入れ替わる,どんどん変わっているのにって主人公は思う。何をもって「変わらないね」と人は言うのだろう。変わらないものなんて何もないのに。それでも変わらないものに安心する。

始めは特に一気にその世界に引き込まれて,そして刺さるものがあって苦しかった。どうすれば世間は納得してくれるのか。何が「普通」なのかを教えてもらいたかった。世界が自分をほっといてくれないから自分を隠してほしいという白羽くん。体裁さえ整えればまわりは勝手に納得してくれる。普通がわからなくて悩むということは,そこで生まれてしまう自分との違い,差を意識しているということで。だからこそ,そういうものとは離された,コンビニの世界が心地よい。なのに,少しの変化で途端にまわりが変わる,世界がかわる。コンビニの世界が崩れる。特殊なようで,こういうことってどこでもありうるものだろうなと。

村田さんは「クレイジー」と称されるけれど,わたしにとって村田さんの感覚や思考は「なるほどなあ」と思うもので。わたし自身の中からは生まれてこないものだけれど,「なるほど」と思える。「わかる」ではなくて「なるほど」。読みながら何回も「なるほど」って思った。短いけれど真っ直ぐに刺さってくる物語。 

 

 

4. 異類婚姻譚/本谷由希子


異類婚姻譚

異類婚姻譚

 

物語のいいところは何を描くのも自由ってところ!ざわりとする読み心地。そこにある意味とか暗喩とかそういうものを解釈するということはしないで読んでいるから,描かれているものをそのまま受け止めるだけだけれど,なんかその感覚が好きだったりする。サンちゃんの前ではだらしのない位置にあった鼻とか口がよそ様の前ではしゃんと戻るってありえないけれどなんかわかる話でもあったりする。そういうところが面白くて,小説っていいなあって思う。

 

 

5. あこがれ/川上未映子


あこがれ

あこがれ

 

あー,好きよ,こういうお話大好き。大人びている子ども,まわりのことを,この世界を,俯瞰で捉えている。けれども子どもだからわからないこと,どうしようもないこともあって。ヘガティー(おならが紅茶の匂いだったから),ドゥワップ,チグリス(ツインテールの髪の分け目)とか「僕」がつけるあだ名がほんとうにすごくて。「アルパチーノ」というふたりだけの別れの言葉。ふたりはどこか達観していて,それを互いに話すことができるのだけれど,それを表現する場所が絵だったり映画俳優のアクションを真似ることだったりなんかいいなって思った。装幀も好き。読み始めはちょっと長い文章に(子どもならではの)たとえ,感覚的な表現に辟易しそうになっていたけれど,すぐにそれが心地よくなっていった。

 

 

6. サブマリン/伊坂幸太郎


サブマリン

サブマリン

 

理想と現実,理屈と感情。そんなやつ死んでよかったんだ!というのは感情だけれど,でもだからといって人を殺していいわけじゃない。誰かがやったことが他人に影響して,それがまた他人に影響して・・・でもその連鎖って常に人の目に見えるところにあるわけじゃない。社会の中で,人がたくさんいるなかで生きている以上,そういった連鎖からは,数え切れない連鎖から逃れることは出来ない。その連鎖が見えてしまったら?でも見えたときにはもうそれは過去になっている。あのときあそこにいなければ。あのときあの人に出会っていなければ。そういう負の連鎖が目立つ世の中で,陣内さんは,意地もあるのだろうけれど,新たな連鎖を生み出したんじゃないかなって。何もしなくても連鎖は生まれるし何かをしたことも連鎖の中に組み込まれる。少年法が良いとか悪いとか,更正できるかできないかじゃなくて,それにまつわる現実,関わる人たちの感情,苦悩,そういったものがそのまま描かれているのが私は好きで,そのなかにはもちろんそれを豪語するめちゃくちゃな陣内さんも含まれるのだけれど,理不尽さを理不尽な物言いでずけずけと言うその言葉にすかっとしていたりするのもまた事実。 

 

 

7. あの家に暮らす四人の女/三浦しをん


あの家に暮らす四人の女

あの家に暮らす四人の女

 

結局のところ、と雪乃は思う。佐知も私も、他人に対して不寛容なのだ。なにかを求めることも求められることも、許すことも許されることも、面倒だし自己の領域を侵犯されたかのように感じてしまう。そんな人間は一人でいるほかあるまい。 

 

 

8. 流/東山彰良


流

 

祖父にせよ、宇文叔父さんにせよ、雷威にせよ、人が死ぬたびにその人がいた世界も消え失せる。わたしは彼らなしでやっていかなければならない。 

 

 

9. 君の膵臓をたべたい/住野よる


君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

号泣した。しゃくりあげるほどに泣いて声をあげて泣いて読み進めたいのに涙と鼻水が止まらなくて中断せざるを得ないくらいに泣いた。はっきりとした理由とか,この箇所とか,そういう特定できるような,わかりやすい対象はなくてただただ文章をなぞっていくうちに涙が溢れていた。君の膵臓をたべたい。膵臓をたべる,というのは,ある民族では身体に悪い部分があると,他の動物の同じ箇所を食べる,という話が冒頭にあって,わりとすぐに種明かしがあったなあとか思っていたら,全然違った。全然違ったし重みが違ったしそれは咲良と僕の関係性のすべてだった。僕と,咲良の,大きな違い。 設定とか枠組みとかそういう筋で言えばわりとよくあるものなのかもしれないけれど,テーマは全然違うし,きっかけが病気っていうありきたりさはあってもわたしが心揺さぶられたのはそこじゃないっていうのは思う。それが何かを言葉にするのは難しいけれど。もっと心の奥底を揺さぶられる感じだった。 

言葉は往々にして、発信した方ではなく、受信した方の感受性に意味の全てがゆだねられている。

 

 

10. 美しい距離/山崎ナオコーラ


美しい距離

美しい距離

 

苦しくなって心揺さぶられて美しくて,あまりにも好きすぎて別エントリーで書いてしまってた。 感受性,自分と他人の物語,そして死。

また,好きな本に出逢ってしまった。

 

 

11. 蜂蜜と遠雷/恩田陸


蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

わたしは!!!恩田さんの作品が好きだ!!!!!

長編を読み終えた疲労感,でも軽やかな余韻,そしてあたたかな気持ち。清々しさ。恩田さんっぽくないなって思ったけれどよくよく考えてみれば,『六番目の小夜子』『ネバーランド』も大好きなんだった。理瀬シリーズ*1が一番大好きかもしれなくて,その理由は現実から少し浮遊したような世界観だと思っていたけれど,あの話もやっぱり年頃の少年少女のみずみずしさに満ちていたんだった。登場する人物の魅力,思考,そして才能。文字だけなのに,鳥肌が立った。奏でられる音楽にぞくっとした。じんじんと熱くなった。それってすごくない?ただの文字なのに。すごいよね??「文字を目で追いながら,自分の鼓動がうるさくて呼吸が浅くなって震える手で紙をめくる」ような読書体験は,わたしのなかではいまも『六番目の小夜子』だけのもの。

演者それぞれに音楽との対峙の仕方がある。それぞれの演奏が様々な他者から,そして自分のなかから捉えた描き方なのもよかった。世界は音楽に満ち溢れている。文章を,そこで奏でられている音楽を充分に味わいたいという気持ちもあるのに先が待てなくてどんどん読んでしまった。続きが知りたくて,四人がどんな演奏をして,それをまわりがどんなふうに受け止めるのか早く知りたくて。とても,とても素敵な本だった。

 

 

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こうやって並べてみるとなんとなく一貫しているように思えて不思議。変化,普通,他者,感受性,死,そして生。そういうことを考えていた2016年だったのか,たまたまそういう小説を読んだから考える時間が増えていたのか。でも何にでもタイミングというものはあると思っていて,いま読んでも何とも思わない小説でも,たとえば十年後,一年後,もしかしたらたった1日でも読む瞬間が違えば心打たれる何かがあるかもしれない。だってわたしたちは変わり続けているから。一瞬たりとも同じわたしは存在しないから。死ぬまでずっと,わたしたちは変化し続ける。わたしも,わたし以外の人たちも。一瞬たりとも同じわたしはいないのだから,そのときに感じることもまったく違うのだろう,なんてことはもっと昔,子どもの頃に考えていたことだったなあって思い出した。いまはそういうことにあまり向き合ったりしないというか,その感覚に身を置こうとすることは少なくなった。むしろそういう体験を経て言語化してしまったものを手軽に取り出している感じ。面倒だからかな,一度言語化してしまうと,再びあの眩暈がする空間に身を放り投げるようなことをわざわざしないというか。でも,その体験は間違いなくわたしのなかにあるものだから,そこをぐさりと突かれると息苦しくなったり動揺したりする。その相手がたとえ,文字であっても。言語化して気楽になっていたはずなのに,言語化された文字によって再びその平穏が乱されるって,なんかすごい。でも,決して嫌じゃない。むしろ,心揺さぶられる自分を感じたくて本を読んでいるところもあるから。

今年はどんな本に心かき乱されるかな。読みたい本は,たくさんある。

 

 

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12. フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質/ジェニファー・L・スコット


フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~

 

最後にひとつだけ言わせて。原題『Lesson from madam chic』なのに,邦題が,全然シックじゃない!!! 

 

 

 

*1:『三月は深き紅の淵を』『麦の海に沈む果実』『黄昏の百合の骨』(すべて講談社。他に短編もあり)