2019年の10作品

 

今年は演劇に向ける熱が多かった一年だったかもしれない。

 

1. パルコ・プロデュース「世界は一人」


眠りについて目覚めたら新しい一日が始まるけれどもその世界を生きる私から私は抜け出すことは出来なくて,私の命が尽きるまで私は私を辞めることは不可能でこの私という人物を生き続けるしかないのだ,ということを意識するたびに途方に暮れ,眩暈を起こす。

私の明日は今日の続きで,今日は昨日の続きで,それは1年前,10年前のあの日からの続きでもある。時空を自由に行き来できない以上,私たちは一方向に時間を過ごすしかなくて日々の経験は積みあがっていくばかり。意識するしない,記憶しているしていないに関わらずそれらの経験はいまの私の何かを形成している。

 

 

2. Bunkamura30周年記念 シアターコクーン・オンレパートリー2019「美しく青く」


すべてが日常だった。でも,日常だからといって,何も起きていないわけじゃない。日々何かが起こり外から見えなくても表に出さなくても感情は変化していて,他人には見えていない生活があって(こう見えて父親やってるんです,とか)。そのお互いの生活の一部分が少しずつ交わっているだけ。他人のすべてを知っているわけではない。8年前のあの日は日常じゃなかったかもしれない。でも,あの日から繋がっていまの日常がある。そもそも日常なんかなくて,どれもが非日常かもしれない。だって同じ日は二度とないのだから。

包丁を手にして母親の部屋の前で立っている直子をみて,「日常だ」って思った。非日常かもしれないけれど,これはやっぱり日常なんだ。 「生きるってほんと面倒くさい!」

 

 

3. 時速246億「お静かにどうぞ」


脚本,美術,照明,音響,そして演技,全部ひっくるめてとても好きな作品で,色々なところが刺激されて,だから私は観劇が好きなのー!!!って思う空間だった。 これは「HEADS UP!」の台詞にあるのだけれど,演者と観客の“共犯関係“が意識させられる作品でした。観劇中は腹の底から笑ったけれど,あとからふとどこかの場面や台詞を思い出すことがあって,それは私の中に染みていたものということかなと思ったりした。

私にとって作品に対する“好き“には作り手への“信頼“も含まれていて,その信頼はこの世界や人間の捉え方,距離感みたいなものにあって,そういう意味で時速246億主宰の川本成さん,作・演出の喜安浩平さんを信頼できるって思いました。 「アフレコ現場をモチーフに第一線で活躍中の声優陣が登場する」お話だなんてそんなの面白いに決まっている。でもだからこその日常性であり,けれども私たちが目にしているものは虚構。でも,この日常と地続き,そんなことを登場人物の名前から考えました。

 

 

4. HEDWIG AND THE ANGYR INCH/ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ


私の身体の中に刻まれた音楽が鼓動する!って感じでした。私,生きてる!って思った。

Midnight Radioはもともと好きすぎて冒頭からすでに涙が滲んでいたのだけれど,イツァークが登場してその涙が溢れた。アヴちゃんの説得力。 好きなのはもう自分でわかりすぎていて、何回も聴いた曲なのに、ここでまたこんなに感情揺さぶられるなんて。生の音楽の威力は凄まじいなと観劇後しばらく酔いの冷めない状態で思っていました。 手を挙げながら,何というか,自分で知らない振りをしているだけで私にも渇望しているものがあって,それが引きずり出されて,そしてそれに向き合える強さが湧いてくるような気がしていた。

 

 

5. iaku「あつい胸さわぎ」


今年の夏の終わりに出逢った作品は、とてもとても好きな作品でした。揺さぶられて胸さわぎがして苦しくなってめちゃくちゃ泣いた。脚本・演出、そして演者の方々のお芝居が素晴らしくて、関西弁とそこに混ざる標準語の活きた会話劇に引き込まれながら、私の中の色々な場所が刺激される作品だった。

— あこ October 26, 2019

勝手に涙が溢れてきて止まらなくて感情が追いつかないままひたすら涙を流していた。 私は自分の気持ちを言語化することで自分を保っているけれど,完全に言語化できないものがあったっていいじゃないか。

 

 

ここから小説。

 

6. 三浦しをん「風が強く吹いている」


風が強く吹いている (新潮文庫)

風が強く吹いている (新潮文庫)

  • 作者:三浦 しをん
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/06/27
  • メディア: 文庫
 

2018年に読了。 竹青荘の住人みんな面白くて魅力的なんですよ。だからあちこちで笑っちゃう。でもその合間に何回も,予期せぬところでぐっときて涙も滲む。そして後半はもうずっと号泣。しゃくりあげながら泣いてしまうものだから読み進めるのが難しかった。先がめちゃくちゃ気になるのに!あまりにも続きが気になって自分が文字を読む速さにもどかしくなった。あそこからのモノローグはずるい。キングが愛おしくなるし,ハイジがもう本当に…

読後なかなかこの世界から抜け出せず、本編からエピローグまでの描かれていない期間,この先のそれぞれに深く思いを馳せてずっと気持ちが浮遊したままだった。あの感覚は本当に久々だった。 

小説を読んだ理由はアニメを観る予定だったから。アニメも本当に素晴らしかった。大好き。最終話は最初から最後までずっと美しかったって思ったけれど,このアニメは第1話からずっと美しかったのだったと思い出した。 この作品を通して,原作が別にある作品をアニメ化する意味を考えた。もともと小説をよく読んできて,映画化・ドラマ化(実写が多い)されたときには基本的に小説は小説,映像は映像と切り離して捉えていて映像化を否定するわけではないけれど,映像としてはこうしたんだ,で終わることが多かった。でもこの作品を通して,”アニメとしてどのように見せるのか”ということを考えると,原作とイコールであることがいつも正しいわけじゃないし,原作をなぞってもアニメとして成立するわけじゃない。たとえばそれは台詞の違いだったり登場人物の年齢だったり。いままでは原作とは別作品だから,で終わっていたその点に関して,原作との繋がりを意識するようになった,という感じかな。そしてそういう捉え方ができるようになったのは,特に演者側の豊永さんだったりシリーズ構成・脚本の喜安浩平さんがアニメとしてどのように見せるのかについて話されるのを聞いたからで,それがとても納得できるものだったから。そして何よりも,アニメとしての作品そのものがとても素晴らしかったから。絵がある,声が聞こえる,その魅力はやっぱり大きい!と純粋に思いました。 ハイジを演じた豊永利行さんの表現が本当に大好きで,表には出さないけれども胸に抱えた強い想いが滲み出るお芝居に何度も胸が締め付けられた。一方で,台詞がなくても,ないからこその演出で感情を揺さぶられるシーンも多くて,特にこの作品は走っているときの息遣い,地面を足で蹴る音,風の音,そういうものが印象的だった。

全23話を通しての構成が美しかった。最終回を観終えたあとに私のなかにあった感情は小説を読み終えたときのそれとは違っていて興味深かったし,それもまた”アニメとして何を見せたいのか”に関わることなのかなとも思った。もちろん作り手の意図通りの感情を抱くことだけが正解だとは思わないけれど。そして群像劇として,主人公のカケルや物語を動かしていくハイジだけが他人に影響を与えるわけではなくて,カケルやハイジ以外の住人が他の住人の気持ちを動かす,変化のきっかけになる,という描写が小説よりも明確に描かれていた印象があって,それもまた私がこの作品を好きな理由のひとつ。でも,モノローグで明かされることもあるように,他者には見せていない,知られていない部分だってたくさんあるのだ。箱根駅伝を目指すという目標はみんな同じでも,走る理由は違っていい。違うからこそ誰かの言葉や行動が誰かの気持ちを動かす。それぞれ違うまま,ぶつかり,認め合って信じ合って強くなっていく,その過程が美しかった。この先ずっと大事にしたいと思える作品に出逢いました。

 

 

7. 村田沙耶香「消滅世界」


消滅世界

消滅世界

 
どうせなら、その世界に一番適した狂い方で、発狂するのがいちばん楽なのに

私は村田沙耶香さんが描く世界が好き。描いているものは虚構の世界かもしれないけれど,一方でいま私たちが生きているいまと繋がるかもしれない未来であるとも思うし,その世界だからこそ発生する会話に滲み出る個人の価値観はいまこの現実に生きる誰かの内にはすでにあるものだと思うし,少なくとも私のなかにはあるものが多くて,それが目の前で他者によって言語化されることで,ああ,私はこう思っていたのだという確認をする感覚。

 

 

8. 平野啓一郎「ある男」


ある男

ある男

 
アイデンティティを一つの何かに括りつけられて、そこを他人に握り締められるってのは、堪らないですよ。

 

 

9. 遠藤周作「沈黙」


沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

  • 作者:遠藤 周作
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1981/10/19
  • メディア: 文庫
 

何を描くのか,そしてそれをどのように描くのか。

旅先で読んでいて,しかも読めば引き込まれてしまうから,見知らぬ土地にいる私,見知らぬ異国の地に降り立った宣教師,現代と江戸時代,それらが混ざり合って,いまいる場所を認識するまでに時間がかかることがしばしばあった。

 

 

10. 李龍徳「愛すること、理解すること、愛されること」


愛すること、理解すること、愛されること

愛すること、理解すること、愛されること

 
言葉や思想で相手に影響を与えようなんてそんなの、影響なんて所詮、いいも悪いも本人たちの受けたいようにしか受け取らないんだから。例えばあなたが姉や親から受けた言葉を悪い意味で後生大事にしてるとして、傷ついたとか言ってても結局はそれがあなたのアイデンティティの一部になってる。あなた自身がそれを選んでいつまでも、自家発電で傷ついたり怒ったりしてる。宿主のほうが操作されてんのよ。自由が不安だから幻のアイデンティティを育み、やがてそれに生き方まで定められて、今やもう完全に乗っ取られてる

2018年に読みました。

 

*     *    *

  

私が演劇が好きな理由は,目の前に生きているその人がいて,生身の人間が発した言葉や取った行動,放った感情に心動かされる感覚が好きだから。でも最近,それが虚構だとわかっているからこそ,思う存分そこで心揺さぶられていられる安心感があるのかもしれないとも思っている。日常生活で心揺さぶられることが煩わしいときもあるから。

私は小説も好きで自分の感情が動く感覚が好きで,じゃあ私にとっての演劇との違いって何だろうと思ったときに出てきたもの。それは自分の立ち位置かなって思った。すべての小説に対してではないけれど,一人称だったりモノローグがあったりすると私は登場人物と同じ視線で世界を見ている。でも演劇って,やっぱりどうしても舞台を観る,という構図があるから外側からその世界を観ている意識が強くなる。自らの内から湧き上がる感情と,外からの刺激によって動かされる感情,の違いなのかなとぼんやり思っているところ。

最近,言葉をうまく使えないなと思うことが多いから,来年はたくさんの言語に触れたいと思っています。