2020年の11作品

 

私は劇場で観る演劇が大好きです。

 

 

1. Bunkamura30周年記念 シアターコクーン・オンレパートリー2019+大人計画『キレイ-神様と待ち合わせした女-』


板の上に立つ役者が放つ熱量を浴びて役者の存在感に惹きつけられて歌に心を震わせて目の前で起こっていることから振り落とされないように必死にしがみついていたような時間だった。全身で堪能した。

ケガレてケガレて私はキレイ

キレイ | Bunkamura

 

 

2. FORTUNE


最後のシーンは息が苦しくて切なくて目に焼き付いている。踊るシーンはもっと踊ってほしい、踊り狂ってほしい、それを見せてほしいと思った。

あの絶頂期、踊り狂うフォーチュンの姿は自分の身体も意のまま自由に動かせる表現のようで、でも実際は自身の身体をあんなにも自由に美しく激しく操る森田剛という表現者の凄さを感じました。こういう表現をもっと見せてほしい、見たい、本当はこんな風にもっと身体を動かしたいのではないかと思ってしまった。そんなふうに思ってしまうくらい引き込まれる踊りだった。森田剛という人間はこんなことまでできてしまうのだ。真っ赤な空間でピンクのスーツに身をまとい人間の動きじゃないような踊りを操られているかのように踊る。あれはひとつの芸術作品のようだった。

あれもこれも好きな演出がたくさんあった。演劇っていいよね。

FORTUNE | PARCO STAGE -パルコステージ-

 

 

3. プレミア音楽朗読劇『VOICARION Ⅸ 帝国声歌舞伎~信長の犬~』team孝


泣いた。めちゃくちゃ泣いた。しゃくりあげながら泣いた。終わったあとの疲労感と放心状態がすごかった。なんかもうそれしか記憶がないや。

個人的には「朗読劇」という枠組みの中で役者が意図的に(演出として)大きく動くのはあまり好きではないというか朗読劇とは?と思ってしまうのだけれど(台本片手に舞台上を動き回り、ついには台本から目を離して動いていたらこれはいったい何なの?って思ってしまう)、朗読劇にも様々な形態があって色々な表現の仕方があるということは理解している。この公演に関しては、多少の動きはあっても役者は同じ場所にいて何よりまず声のお芝居が圧巻で、さらに舞台セット、大道具も小道具も衣装も照明も音楽もすごかったというよりかっこよくて、それはもう信長のかっこよさでもあって、あの世界にどっぷりと浸ったし情景が目に浮かんできたしだからこその溢れる感情だったのだと思う。

幕が上がったあと板の上で発せられる第一声はその作品、その公演の色々なことを決めてしまうと思っている。だから劇場で観劇するときに肌で感じるあの緊張感が私はたまらなく好き。それは各登場者の第一声も同じ。この公演では野口多門が戸を開けて入ってきて息を吐くところから始まって、それだけでもう引き込まれた。私は豊永さんの言葉にはなっていない声、溜息とか唸り声とか息遣いを含めた表現が好きというのもあって、あの第一声に震えたことを覚えている。

プレミア音楽朗読劇『VOICARION Ⅸ 帝国声歌舞伎~信長の犬~』

 

 

4. MANKAI STAGE『A3!』 〜Four Seasons LIVE 2020〜


これが!!!MANKAIカンパニー!!!!!って思いました。圧巻。

エーステは役者が役者を演じるという意味での特別さがあると思っていて、役者としての変化、役者同士の関係性の変化、稽古期間を経て初日から千秋楽までの変化、それらは舞台上で描かれるA3!という物語のなかだけではなく実際のキャストや公演でもあることだろうし、その重なりが私がエーステを好きな理由のひとつでもある。でもエーライに関しては、それよりも”MANKAIカンパニーの役者が全員いること”の感動が大きかった。ようやくひとつの劇団の存在を実感できたというか。それがもう圧巻だったし立っているだけで組ごとに色が全然違うのがなんかもう嬉しすぎておもしろいほどだった。秋組の圧が強い。MANKAI寮は毎日こんな感じで賑やかなんだろうなあ、楽しそうだなあって思って、それを見ることができて嬉しかったし、初演からここまで全員同じキャストでその集合写真なんて泣くしかない。千秋楽の咲也の涙が本当に綺麗で咲也だった。

推し以外も愛おしい。大事なことはみんな迫田が代弁してくれる。

Four Seasons LIVE 2020

 

 

5. shared TRUMPシリーズ  音楽朗読劇『黒世界 ~リリーの永遠記憶探訪記、或いは、終わりなき繭期にまつわる寥々たる考察について~』 【雨下の章】【日和の章】


松岡充、満を持してTRUMPシリーズに登場(本人が言っていたよ)。

『はじめての繭期2020』第五夜『繭期夜会』終了後にTRUMPシリーズの新情報をどきどきしながら待っていたらよく知った名前が出てきてて何が何だかわからなかったよね。それであの役ですよ。なんて役を。役は人間?ヴァンプ?いや絶対ヴァンプでしょ??って思っていたけれど予想を裏切らずさらにあの世界にいながらもどこか違う存在感をまとっていたしそういう生き方をしていたね…タイトル「枯れゆくウル」は心臓に悪い。

私は松岡さんの歌声が好きなのだなあってしみじみ思った。歌詞を音楽にのせて歌っているだけじゃなくて、そこに情感があって引き込まれてしまう。私がSOPHIAを好きになったのもそこだったなって。歌詞が好きだったのはもちろんあるけれど、それは単なる言葉としてではなく歌声にのっているからだった。松岡さんのお芝居はいつも“松岡充“だなって思いながら観るし(それがよくないとは思っていない)、歌声もそうなのだけれど、そうだとしてもなんであんなに色があるのだろうって思う。色というか奥行きというか。心に刺さって心を揺さぶられて泣きそうになった。TRUMPシリーズで描かれていることって松岡さんがずっと詩に込めてきたものと重なると思っている。愛とか死とか永遠とか生きるとか。

日和の章の最後にリリーがぎこちなく両の手を天に伸ばすのをみて鳥肌が立ったしやめてくれーー!って思った。ソフィは狂った、でもリリーは狂わない、その対比が明確で苦しかった。

それにしても毎年『はじめての繭期』なんて親しみやすいタイトルで気軽に誘ってこないでほしい。繭期は終わるものかもしれないけれどこっちはずっと繭期、永遠の繭期だから。『キルバーン』は絶対に上演してほしい。

INTRODUCTION/STORY | 音楽朗読劇『黑世界』

 

 

6. STAGE GATE VRシアター vol.2 『Equal-イコール-』(リーディングスタイル)


脚本に唸った。最後まで観るとあれもこれも意味が変わる。初めからまた観返したくなる(観返した)。なるほどだからイコール。ある台詞でTRUMP??ってなった。脚本が好きだから何回でも役者を変えて観たい作品。観返すことであれこれに想いを馳せるけれど、初めて観るときの、これはどうなるのかとかどういう意味なのかとか、予想したりどきどきしたりあの感覚は一度だけだよなあとも思った。

STAGE GATE VRシアター『Equal-イコール』公式ホームページ

 

 

7. ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」“ゴミ捨て場の決戦“


開始早々に泣き始めてずっと泣いていた。途中泣いてない箇所ももちろんあったけれど、すぐ涙が出たし最後はまわりがすすり泣いていることをいいことに私も思いっきり泣いた。試合が終了してからが泣くところだから。実際は泣きながら笑ってまた泣いて、クロと研磨のあの空気感が大好きでそれを感じることができて嬉しかった。まあその前に回想でも泣いたけれど。何が起こっても泣く。
幕が開いて数分で涙が出てきたことには自分でもびっくりして、そのとき思ったことは、生身の肉体が目の前で動いている、躍動している、これが舞台だ、演劇だ!!!!!ってこと。私にとって久々の劇場での観劇だったから。すごく震えたし興奮したしやっぱり私は演劇が好きだと思ったし観に来てよかったと思った。舞台を走り回るメンバーを観るだけで泣ける。オープニングの構成もよかったなあ。テーマ曲!!群台詞!!!!!あれはいつどこで何回聴いても鳥肌が立つ。正直、作品数を重ねるごとに脚本演出に対してあわないなって感じる部分が増えていたけれど、テーマ曲と群台詞を聴くともう抗えないのよ。血が騒ぐのよ。舞台セットも好きだった。特にベンチ。あそこに登って向かい合う構図が本当にゴミ捨て場の猫と烏で興奮した。

試合終了後に音駒高校部員が観客席を向いて整列して、黒尾さんが「音駒高校の応援、」って声を張るのを聞いてめちゃくちゃ泣いた。聞きたくなかった。だってこの台詞、挨拶をするっていうことはそういうことじゃないですか。終わって欲しくないって思いながら思いっきり拍手をした。

演劇は観る側も体力がいることを思い出した。私は生身の人間が己の肉体を酷使して生み出す演劇が大好きだ。

ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」“ゴミ捨て場の決戦”

 

 

8. ハイバイ15周年記念『て』(2018年)


泣いた、声を上げて泣いた。自分でも驚くほどに泣いた。わかりやすく共通している箇所で泣いた。自覚しながら泣いた。部屋の中と外、現在と過去、視点の転換。居心地の悪さ、言葉には出さない苛立ち、ひりひりとした空気。家族でも、家族だからこそ。

 

 

9. ハイバイ15周年記念『夫婦』(2018年)


おそらくこの15周年記念と同じものを一度映像で観ていて、でも以前よりも“私に“刺さってきた。いま思えば前は外側から眺めていただけだった気がする。今回はしんどかった。夫婦や家族、そういう主軸となっている展開にではなくて、細かいあれこれに自分の過去の(嫌な)記憶が引き摺り出されて、感情が引き摺り出されて。ちょっとした台詞とか仕草とか、こういう人いるとか、こういう場面あるとか。なんかそういう細かくさりげなく抉ってくるものがしんどかった。話の展開まったく関係なく泣きそうになったところもどこかであったな。もう自分では消化したつもりだったことも、消化はしていたかもしれないけれど深く焼き付けられていることを突きつけられて苦しかった。記憶というのは思い出し方は違えどそうそう簡単には消えてくれない。

ハイバイのホームページ | Blog Archive » 『て』『夫婦』

 

 

10. 37seconds


映画。とてもよかった。本当によかった。マスクをしていてよかった。マスクの内側でしゃくりあげながら泣いて終わったあと鏡を見たら泣き腫らした目がありました。終わってからもしばらくぼーっとしていて、まわりの音もどこか遠いままふらふらと歩いて帰った。

障害のない人が障害のある人を演じることはあっても、障害のある人がある人の役を演じることってほとんどない。いるはずなのにね。だからこそ(個別のケースではあるけれど)ユマの食事や入浴、移動はどれも日常。対面する人の何も言わないけれど驚く様子や怪訝に思う様子や何かを思案している様子も日常。露骨に言う人は出てこない。でも心の中では思っている。映画やドラマではたとえば大衆描写から障害者は排除されている。存在しているはずなのに。ユマを見た人たちの声には出さない反応、ユマが他人に投げかける問いかけ(障害者は怖くないか、変だと思わないか、嫌だと思わないか)、それってひと括りに障害者としているけれど、“私は“となってもよいところで、ユマもまた個ではなく障害者というカテゴリーに自分をはめていたのかなと。その後のユマの変化を感じさせる言葉がとても印象的だった。

映画「37seconds」公式サイト

 

 

11. V6 For the 25th anniversary


配信ライブ。すごかった。V6めちゃくちゃかっこよかった。見たことのない新しいV6だった。 これはもうひとつの映像作品として扱う。最初数曲はその曲ごとに泣いた。何もない代々木第一体育館で6人だけで踊るV6。本当は会場にファンがいて25周年を祝うはずだったのだよなあと思って泣いちゃった。開始しばらくはそういう気持ちで泣いていたけれど、上から降りてくるV6!ファンの歓声!!順に表示されるメンバーの名前!!!私会場にいる!!!!!って思った。そういう演出に泣いた。本編の終わり方も大好きだった。”V6”っていうグループ名はシンプルでかっこいいなあと思いながら、アンコールも歓声もない幕引きで余韻…に浸る間もなくFC特典が始まってしまった。サプライズを受けるメンバーを見ながら私は泣いたよ。20周年のときも泣いたけれど、なんかメンバーの受け取り方はまた違ったように見えて、もっと噛み締めているように感じた。客席の歓声とかがなかったからというのもあるかもしれないけれど。

観終わったあとしばらく放心状態だった。V6は最新が最高。常に新しいV6を見せてくれる。

 

 

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私、頻繁に泣いているな。泣くことが作品に対する最上級の反応だとは思っていないけれど、泣くということはそれだけ揺さぶられているということもまた事実。ただ私自身の涙腺が弱くなっているとは思う。それは私の経験が増えたことでいままでは引っかからなかった言葉や出来事に自分の何かを重ねたり,何かが引き摺り出されたり刺されたりするからだと思っている。そしてそれは生身の人間から放たれるものを直接浴びるからこそとも。配信も劇場公演もどちらの良さがあって、配信だからこそ観劇できた作品もたくさんあることは間違いないけれど、じゃあ配信で観ることができたらそれでいいとはならない私の理由のひとつはそこにあるなと思っています。