夜中に犬に起こった奇妙な事件 @シアターBRAVA! 2014/4

  

まずはじめに。観劇後の私の中に"可愛かった"という言葉はなかった。

なぜなら舞台上にいたのは紛れもなく幸人で、そこにいる幸人に"可愛い"という感情が入り込む余地はまったくなかったから。むしろそこには色々な痛みがあって息も止めたくなるような場面がいくつもあった。

 

剛くんが15歳の少年を演じる、という意味ではそこから生まれる可愛さも多分にあったのだけれど(たとえばフライヤーとか新聞広告とか)、何しろ舞台上に森田剛はいなかったからそういうことを感じることはなかったのかなと。

鉈切り丸のときもそうだったけれど、芝居が終わってカーテンコールで登場したときに感じる衝撃の大きさといったら。だって完全なる別人物。ドアを開けて出てきたときに(そのドアは上演中は物置とかで出入口としては使われていなかったから何か異次元から出てきたみたいだった)、小走りで前に出てきて立ち止まって頭を下げて上げる動作に、「あ、森田さんだ」ってはっとなって、さっきまでの幸人がどこにもいないことに動揺した。ああ、これが森田さんだった、と思い出すというか。なんだろう、うまく言えないけれど、幸人と森田剛、役と自分、瞬時に切り替わるのを目の当たりにしたときのあの衝撃。カーテンコールで完全に役から離れた森田さんを見て、さっきまで役でしか見ていなかったことに気付いてその絶対に交わらない領域に感動した。というか震えた。

とか思っていたら今度登場した森田さんは(キラキラした衣装になっていて)(どよめきが起こっていた)また幸人になっていて、でも完全には幸人じゃなくて、森田剛が幸人を演じている、という印象で(上演中は幸人でしかなかったから)、そして手とか足でカウント取ってる姿からじわじわきていたけれど、最後に踊ったときにはもう完全に剛くんーーーーーー!!ってなった。ダンスする森田さんは森田さんでしかない。踊り始めた途端に空気がばっと変わってもう森田さんに釘付けになってしまったもんね。それまでは森田さんを中心にしつつ全体も観ていたのだけれど。あれだけ完全に纏っているものを変化させ、さらにそれが一瞬、というところにこちらが揺さぶりをかけられてしまう。

 

内容に関しては(翻訳された)原作を読んでいたから、構成にもあまり戸惑うことなく、あれがこうなったんだと思いながら観ていた。演出に関しては、私には馴染まなかったのかなあ、しっくりこないというか入り込めないというか、解決できない違和感がもどかしかった。原作から受けていた幸人の世界のイメージと違ったからなのかな、うーん、もっと幸人の思考は理路整然としていて、だからそれこそ人が無機質なものを表現するというのは幸人が理解できないメタファーでもあって、その相容れなさがあったのかな。でも駅構内で発信されている文字、音、景色といったすべての情報が絶え間なく幾重にもなって襲いかかってくることによる混乱はとても切迫感があって体感できたし、すべてがそうというわけではないし、話が進むにつれて慣れてきたというのもあったように思うし。

幸人が書いた本をお芝居にするにあたっての構成ではあるけれど、幸人が見たものを実際とは大きく異なるかたちで比喩的に表現することを幸人が受け入れるのかとか、でも逆にそうすることで幸人の内面をことば以外のかたちで体感することができるのかとも思ったり。演出としては先にロンドンで公演されたものも身体表現が組み込まれているようだし、そもそも個人的な好みの問題かもしれないけれど。でもあとからパンフレットを読んでいたらそういうものなのかな!と思うようになった。

カーテンコールでの証明についてはそれまでの芝居と切り離して観ていた。というより同じ流れで観ることはできなかったというか。原作でも付録的にただ回答が書かれていたものだし、そうした記載も含めて幸人が書いた本だと思うから。でもこの演出も先例にならったものなんだよね、具体的なことはわからないけれど。

 

The Curious Incident of the Dog in the Night-Time Official Trailer - YouTube

 

 

芝居中、幸人とまわりの人々とのやりとりに笑いが起こることもあったけれど、なんか私はそこまで笑えなかった。どうしても幸人側に寄ってしまって。というかこの舞台に笑いを取りにいくような芝居は(アドリブも含めて)そぐわないように思えて。さらっとサリーとアン課題(じゃなかった、スマーティー課題、訂正)が使われていて、幸人の回答に対する説明なりコメントは何もなかったわけだけど、あれ、他の人はどのように捉えていたのだろう。そもそも自閉症とかアスペルガーに関して一般的な認知度とか理解度ってどれくらいなのだろう、とかそっちも気になってしまう。だから幸人の行動とか思考、言い方に「あれっ」って思うところもあったりして(「お父さんは静岡にいると思う」とか)。もちろんすべての人が同じような行動をとるわけじゃないしそういう正確さは必要ないのかもしれないけれど。だから演出に関しても、幸人がそう感じているのならあれが幸人の世界なのだから、正解とか間違いとかとは関係ない、とも思ったり。

 

台本上の幸人と人々のやりとりに笑うことはなかったのだけど、役者さん同士のやりとりに思わず笑ってしまったのもまた事実で。白瀬さんが幸人の歩き方を真似して「あら、同じところに戻ってきちゃった」と言って次のことばが聞き取れなかったのだけど(すごく悔やまれる…!)その後の間と、脇に座っていた役者さんが笑い始めて小島さんも笑って、幸人くんが、というか剛くんが「ありがごうございましたああーーー!」ってくるっと振り返って隅っこまで行ってしまうくだりは笑っちゃったよー!八重歯見せて笑っちゃってたよーーー!可愛かったーー!可愛かったとは思わなかったと書いたけど、森田剛が突然現れたものだからここについては可愛かったと言わせてくださいーーー!二階席だったけど、くるって後ろ向く前に笑っちゃったときに見せた八重歯はしっかり見えたよーーー!

白瀬さんが自ら座る場所確保のためにワンちゃんを押し込めたくだりは動作含めて笑ってしまった。木野花さんと幸人、じゃないや白瀬さんと幸人のやりとりというか掛け合いはちょっとわくわくしながら観ていた。

あとATMが「金額を入力してください。…間違えました、暗証番号を入力してください」とそのままのトーンで自ら訂正してた。すぐに入力しなかった幸人くんのあの間はわざとなのかその前にATMさんが修正したのか。

私はこの回だけの観劇だったからアドリブとか変更はわからないのだけれど、最後の瑛子先生のあの爆笑は幸人くんによるものですか、かなりつぼにはまってしまわれていたようだけど!数学検定準一級に合格したのに瑛子先生に対して、椅子にぐだっともたれかかりながら面倒臭そうに「うんー」って言ったのがあまりにもだったから?わかんない!わかんないけれど小島さんのあの激しいはまり具合は何かが起こったとしか思えないのですが!てことは森田さんから仕掛けたことになるよ…

あと「おまわりさんはもっと若くないといけない」が二回繰り返されたのはどうなんですか!おまわりさんついに指加えて赤ちゃんになってましたよ!その前に反対側に控えていた役者さんが出番かと一歩踏み出せ、踏み出すのかみたいなやりとりも行っていましたよ。二回目は森田さん意図的ですか…!幸人が事実の間違いを訂正する(おまわりさんの年齢とか朝食で誰が何を出したとか)のは舞台としての再現だから、という意味になるのかな。後半、唐突にしかも何度かだけだったからいまいち掴めなかった。

 

笑いやアドリブに関しては別のストーリーだったらその流れの中でもっと素直に楽しめたのにな、とも思う。思わず笑ってしまった箇所もあったけれど、そのときは舞台の世界から一瞬、乖離してしまっていたような気がする(観ている側の感覚として)。今思い返すと、幸人は真っ直ぐに行動したり話したりしているのに、相手がそれを理解できないことで生まれてしまう(第三者から見たときの)噛み合わなさが多少なりとも面白おかしく描かれていて、それに対して笑うことに違和感があったんだろうなと。それを笑ってしまうということは幸人と同じように世界を捉えることができていないんじゃないかと。小説だったら完全に幸人からの一方向的な視点だからそれをなぞることができたのだけれど、舞台となると第三者になってしまう場面もあってそういう違いなのかな。幸人側からは見えない相手の戸惑いや苛立ちも同時に発信されているという意味で。

 

原作では、瑛子先生の提案で自分が体験したことを書いたもの、としての本だったけれど、さらにその書いたものを元に舞台化したもの、としての作品になっている、ということを体感として納得できたのはわりと後でした。

 

探される幸人くんを、その場面にはいない瑛子先生や他の人たちがかばったり、幸人の手元をそうっとのぞきこんだり、そういうのは好きだなあと感じた。母親の手紙を見つけて読んで生きていることを知って本当のことを知って、その後一心不乱にレールを繋いで列車を走らせる、そのレールの中で横たわる、暗くなって列車だけが明かりを灯して走り出す、という流れも静かだけど悲しくて、でもその情景が残っている。

 

瑛子先生とのやりとりが好き。瑛子先生の前では安心して言いたいことを言葉にしている幸人くん、そして一緒に喜んで受け止めてくれる瑛子先生。左、右、左、右って瑛子先生から教えてもらったことを思い出す幸人、お父さんから言われたことも思い出していたのがじんときた。幸人にとって、それは誰から言われたのか関係のない事実なのかもしれないけれど、やっぱり"知らない人"ではない人は幸人なりの捉え方で"特別"だと思うから。だから、お父さんとは手の平を完全に合わせるけれど、お母さんには指先だけ、ほんのちょっとだけしか触れないっていうその違いに、そしてミロを殺したのが父親だと知った後には手を合わせようとしない幸人に胸が痛んだ。ミロを殺した父親だから今度は自分を殺す、という理論が一度成立してしまった後、それを変化させていくことには相当の時間が必要で、もう少しその緊張感と(原作にあるように)父親との距離を縮める過程を見せてほしかったな、犬だけの理由じゃなくて。

東京までひとりで行ったことで、「なんでもできるってことじゃない?」と瑛子先生に繰り返す幸人の表情がとても嬉しそうで活き活きしていて、そういえばそこまでずっと幸人の笑った顔は見ていなかったことに気付いてとても嬉しかった。

 

 

あとこれは森田さんとしてなのだけど、宇宙の説明をしたり(自分を落ち着かせるために)数字に2をかけていくのを聞いて、舞台役者森田剛すごいと思った。すらすらと口から出てくるあの膨大な量の台詞…

「Aきらい Bおかしい Cおこらせたい」は剛くんがその場で書いた文字、でも森田さんの字ではなくあれが幸人の字なんだろうな。その前に、自分の気持ちを表す顔(警官とのやりとりに関して)も書いていたけれど(複雑な絵じゃなくてよかったと思ってしまったよ!)、詳しい説明はなかったなあ。相手の表情や気持ちを読み取ることが難しい幸人にとってのパターン化であり自分の気持ちを表す手法。でもあの顔は結構複雑だと思うのだけどな、「嬉しい」「悲しい」といったわかりやすいものじゃなくて。

 軽々と持ち上げられる森田さん…本人の身体能力も多分にあるのだろうけれど、アクロバット…V6…信頼…とか余計な連想が出現してしまった。証明問題の説明を終えた最後のポーズが絶対幸人のものではなくてでも森田さんって感じでもなくてちょっと処理しきれなかった私。

 

書き始めたらどんどん細かいところにいってしまう。そして考えながら書いてたらすごく時間かかってた(あとから書き直したりしたし)。舞台の世界観に入り込めたかと言われれば実際そうではないというのが正直なところ。もちろん小説と舞台という表現の違いがあるのは当たり前なのだけれど、幸人が見ている世界、感じ方、考え方をなぞる、という意味では私は小説がとてもわかりやすかった。今回の舞台ではそれよりも幸人の冒険、成長に重点を置いていたのかな。いや、小説でもひとりでの冒険は大きなことだったのだけど、アスペルガー自閉症)の人が見ている世界を丁寧に映し出す、ということも強く感じられたから。

でも舞台だからこそ迫るものがあったものもあって。一番は混乱したりそういう状況で情報をシャットアウトしようとしたり自分を落ち着けようとする幸人の行動。大きな声を出す、唸る、耳に手を当てる、叩く、頭をぶつける、跳ぶ、うずくまる、数を数える。映像を見たり調べたりして、と語っていたけれど、その描写だけじゃなくて見ているこちらが苦しくなるほどのものがあって、本当にすごいと思った。それでいて、自分にもみんなにも幸人のようなところはあるんじゃないかという森田さんの言葉を思い出すと、もうなんかこの人やっぱりすごいなって、しかも自閉症の役だから、ではなく自然なクセ、個性として表現できればと言う森田さんのそういう感覚がとても好きなのだと思う。

 

鉈切り丸から半年。まだ範頼の姿も強く残っている中での15歳の幸人。森田剛が演じているという事実は間違いなくあるのに、そこにいるのは全然違う人物だった。たくさん芝居を観てきたわけではないけれど、どんな役をやっても、誰々、という個人としての存在感を放つ役者さんもいれば、森田さんのように完全に個がなくなる役者さんもいる。そして森田さんは役と自分との切り替わりが一瞬にして行われるからびっくりする。「なんで…?」と聞き返す幸人の声が耳に残っている。あと繰り返されるたびに力強くなった最後の「なんでもできるってことじゃなあーい?」。瑛子先生に確かめるように「…じゃ、なあーい?」ってちょっと駄々をこねるような、最後三音にアクセントを置く言い方。

1回しか観劇していないのに、数日経っているのにまだ色々と考えてしまうのは色々な見方があるからで、明確な正解の提示があるわけでもなく、何かが引っ掛かる、残る、思い返してしまう舞台だった。

次はどんな舞台を誰とやるかな。

 

 

あと最後に。森田さん、剛ちゃんと呼ばれているのですかーーーー!(安田さんに。)そして小島さんに、いまいちわからずにいると言われている森田さん(稽古が始まって間もない時点だけど)。でも稽古場でのたたずまいがすごく気になる好きな役者さんと言われている森田さん。好きな役者さん…!役者さんそれぞれのインタビューを読んで思ったことは、森田さんの記事だけ何か受ける印象が違う。主演だからか自閉症という役だからか、でもそういうのとは関係なく、舞台とか役に対する森田さんの捉え方とか感覚によるものなんじゃないかと。なんとなく後ろからパンフレットに目を通していき(森田さんのページは最後のお楽しみ、みたいな)最後に森田さんのインタビューを読んだから余計にその違いを感じたのかもしれないけれど、ああ、やっぱり森田さんの感性とか表現の仕方が好きだなあと思った。

 

カーテンコールで踊る姿に、(V6の)剛くんだ…!となった余韻を引きずったままなのでOMGコンを観て剛くんーーーー!ってなってます。当たり前だけどそこに幸人はいません。髪型オールバックだし。でも幸人の姿、声もまだ強く残っているから変な感覚になって途中で観るのやめた。ただやっぱり同じ空間で目にする森田さんのダンスには映像とは次元の違う破壊力がある。たった数秒でも。

 

 

 

夜中に犬に起こった奇妙な事件

夜中に犬に起こった奇妙な事件