かたちに残るもの

 

私の中で定期的に到来する低空飛行期間というものがあって、こないだ久々にかなり大きいものがきて、で、ひとりでは耐えられないというか何かにすがるものが欲しくてSOPHIA(の特定の曲)をずっと聴いてた。実は、そういうときに聴く曲というのは昔から決まっていて、それをまた聴いてた。

 

そして思ったこと。

あ、やっぱりこういうときってSOPHIAを聴くんだ自分。聴きたくなるのはSOPHIAなんだ、ということ。SOPHIA以外にも好きなアーティストはいるし、SOPHIAを好きになった後に聴くようになったアーティストも、現状の活動の多さから聴くことが多いアーティストもいるし、実際、最近はSOPHIAはあまり聴いていなかったのだけど。こういうときに本能的にというか欲望として何を求めるかというと、SOPHIAの音楽なんだなということに気付いて、感慨深かった。最近、整理を兼ねてSOPHIA関連のCDを集めてみたらものすごい量になってそれもまた感慨深かった。そして嬉しくなったのはある意味コレクターだからですよね、SOPHIAのCDがこんなにあるよ!(こんなに集めた私)うわあお!みたいな。で、聴いたりしていたのもあるかもしれないけれど。

その中で、この曲も聴いてみようかな、ってちょっと再生するのだけどやっぱり今は無理!って身体が拒否するものもあって。今は聴けない、みたいな。おもしろいのは、それがSOPHIAの曲にもあるということ。たとえばGJescAPEとかそんなテンションちゃうわ!とか(たとえがカップリングってどうなんだ)。

 

ちなみに低空飛行時に聴く曲。ALIVE、walk、material of flower、farewell、大切なもの、航海、CIRCUS、瓶詰めの赤い空、未だ見ぬ景色(ここでいったん泣いたりする)。少し浮上してきたらnothing、one、Place~とか僕はここにいる、最後はだいたいビューティフル。軽い塞ぎ込みとかちょっと落ち込んだときにもビューティフル。

見事に活動前半の曲ばかりです、気付いています、というかトイズファクトリー在籍時です、ちなみにファンになる前の曲ばかりです。これってどう捉えたらいいのだろう。

 

今の曲が好きじゃないというわけではないのだけれど(そうじゃなかったらライブにも行かない)、昔の曲はなんというか中毒性がある。すっごく角があって、それがあたるとたまらなく痛いし傷だらけになるのだけれど、その痛みが快感になってしまってふとしたときに欲してしまう、みたいな。少量だけ欲しいときもあれば、あるだけくれ!ってなるときもある、そんな中毒性。

SOPHIAの音楽は歌詞だけじゃなくてメロディーも含めて、綺麗事だけじゃなくて人間の弱さ、脆さ、醜さを、歌っている、というのが私の中での捉え方なのだけれど、昔はそれをそのままぶつけられて、こっちも剥き出しにさせられ意識せざるを得なかったのに、最近は、それでもいいんだよ、もっといえば受け止めてあげるから、みたいな投げ方になっているように思えて仕方がない。実際に、かつてはSOPHIAを生きる糧にしないでほしい、ときっぱり言っていたのに、いつしかそれを言えるようになったと話していた(うろ覚えでかなり曖昧な表現だけれど)。

 

音楽に限らないけれど、何かを表現する人って、今まさに自分が闇の中にいてそこでもがきながら声を出している人と、かつてその闇の中にいたけれど今はその穴から抜け出した(でも闇にいるときの感覚は知っている)ところで声を出す人、身体を半分闇に突っ込んでその穴の中を覗き込みながら、でも落ちないように必死になって声を上げている人、そして闇なんてまったく知らないのに遠くからぼんやりと眺めて適当に言っている人がいると思っている(最後ひどい)。ふと思いついただけの私の感覚。SOPHIA(というか詩を書く松岡さん)がどれかということを言える私ではないけれど、少なくとも闇というものを知っているだろうなと。でないとあんな歌詞書けない。そもそもそれを闇だと言うこと自体が傲慢なのかもしれないけれど。私はちょっとかっこつけて闇だとか言っているけれど、他の人には別の表現の仕方があるかもしれないし。けど、人間の弱さとか脆さとか、そういうものを痛みと共に放ってくるって、かなり深いところでそれを経験していないと出来ないんじゃないかなとも思うわけで。そしてそれを的確に表現できる、という意味でも他の人にはないすごさがある。で、私があえて痛みを求める曲って松岡さん自身がかなり暗い部分に足を突っ込みながら身を削ってかたちにしたものだから中毒性があるのかなと。

 

なんかほとんどが憶測の話になってしまったからここでやめておく。憶測、というより私の中での感覚。

結局、特定の音楽を聴きながら私が何を思ったかというと、たとえSOPHIAの音楽をライブで聴くことができなくなったとしても(今まさにそういう状態ではあるけれど、可能性がなくなったという状態でも)、こういうときにはSOPHIAのこの音楽を聴きたくなるのだろうなって。人が集まった物質的なかたちのないバンドというものは、人が離れてしまうと跡形もなく消えてしまうけれど、そのバンドが作った音楽というものはかたちがあって、ずっと残っていくものなんだなって。こういうことってずっとずっと言われていることだし珍しいことでもないのだけれど、自分とSOPHIAに置き換えたときにすごくずっしりとくる事実だった。SOPHIAのライブに行くことができなくなったとしても、音楽はずっとあるんだと。音楽ってすごい。(言葉にしてしまうととても陳腐)

 

その音楽に時期的な偏りがあるということがなかなか興味深いのだけれど、それはものすごく感覚的なもので、だからこそはっきりしているというか。なんだろうな、年齢を重ねたらそういうものも変わるのかな、彼らが変わっていったように。そういう意味では未来大人宣言のアルバムはそれまでとまた違った音楽だったと思っている。鋭さが増したというか。

結論として、低空飛行のときって自分に嫌気が差しているときで外に目が向いていないときだから、もっと傷付けてほしい、痛みを感じたいと思うのだろうな。でも選んだ曲を聴くとかなりすっきりするというのもまた事実。少しずつ曲のテンションも上げていって、ビューティフルまできたら成功、みたいな。

 

長い間聴いてきただけに自分の中での位置付けがそれぞれの曲にある。

 

 

 

  

未だ見ぬ景色    Place?

    マテリアル ALIVE  walk