きらきら

“永久未来続くものなどあるはずはないから これで行くさ僕は僕を壊してく”

2015年の小説7冊

 

2015年も色々な本との出逢いがありました。

読んだ本(好きな本)=性癖だと思っていますが,じぶんが面白いと思える本に出逢えたら嬉しいし読みたい本はたくさんある。「だから読書は面白い」と何回も思うしもっと読みたくなる。読書は「本」と「私」の一対一の関係だから,わたしが何を思ったかがわたしの一番の関心事で他人に薦めるとかはないのだけれど(でも他の人がどのような感想を持ったかは興味があるのでレビュー読むの大好き),やっぱり面白かった本は主張していきたい!ということで2015年に読んだ本から何冊か。2014年にも同じことをやって楽しかったからという理由も大いにあり。読んだ本に関してはブクログで自分用の感想を,読書メーターではレビューとして残しているので(最近書けていない),そこから引用したり加えたり。

 

 

(1)デブを捨てに/平山夢明


デブを捨てに

デブを捨てに

 

まずはこれでしょう,いきなりこれでしょう。

うげえええってなりながらも離れられない。優しさ,思いやり,愛情,なんて言葉は陳腐でそぐわない。でも間違いなくやわらかなものがある。そして爽やかなんだよ!!そういった心動かすものって別に小奇麗な暮らしの中だけにあるものではなくて,どんな場所にも,どんなかたちであっても存在する。表紙がいい。デブを思う。ペーパーバック的な装幀もいい。改まってなくてそこらへんにぽいってありそうで,中身もジャンキーかもしれないけれど,人の気持ちというものは存在する。それは直接言葉で語られるものではないけれど,間違いなくそこにある。嘘がないから信じられる。だから小説は面白い(でもファンからすればこの作品は物足りないみたいだから他も気になる)。

 

 

(2)殺人出産/村田沙耶香


殺人出産

殺人出産

 

次は鋭く軽やかなものを。え?タイトル?殺人出産?「十人産めば一人殺せる殺人出産制度」のことだよ!!

常識なんて今たまたまそれが多数派なだけで時代が変われば場所が変わればあっという間に違うものになる。そこにある考え方はまったく異質なものではなく,今と完全な断絶があるのでもなく,むしろひとつの可能性として延長にありうる世界。すでに誰かが感じていることが形になった世界。だからとても現実的。こんなふうに世界は,常識は移り変わってきたのだろうなと,これからもそうやって変化していくのだろうなと。軽やかに鋭く少しのめまいを呼ぶけれどそれが心地よくもあったりする。

”自分の世界を信じたいのであれば,この世界を許すか信じなければいい”

 

 

(3)おとぎのかけら 新釈西洋童話集/千早茜


おとぎのかけら 新釈西洋童話集

おとぎのかけら 新釈西洋童話集

 

これも現実的。でも,もっと重くまとわりついてくるこの感覚。それが人間、それが本質。

白雪姫,シンデレラ,マッチ売りの少女・・・。童話は日常に転がっている(隠されている)出来れば目にしたくないものを非日常の世界で成立させている。だから「ぬるい」。どこか遠い異国の話で実感がない。だから現実で。もっとわたしたちに引き寄せて。そうやって描かれた短編集。世の中そんな綺麗事なんて,ない。人が他人を理解できる??美を決めるのは誰??本当に幸せなのは,誰??文章に吸い寄せられる。「カドミウム・レッド」が好き。主人公の思考が心地いいほどに切り込んでくる。どの童話を引いているかはぜひ本書で。

 

 

(4)いつか、この世界で起こっていたこと/黒川創


いつか、この世界で起こっていたこと

いつか、この世界で起こっていたこと

 

読み終えてタイトルを改めて見るとしんと響くものがあった。原発や震災といった"未曾有"の出来事を核に切り取っているのではなく、ずっと続いてきたその人達の人生にそれらがひとつの出来事として入り込み、そして生活は続いていく。だから人々は他のことにも悩んでいる。恋愛、仕事、夫婦間、仕事…。影響はもちろん大きい。でもそれがすべてではない。色々な出来事が絡み合ってその人の日常を形成している。世界のどこかで。どこでも。いつの時代にか。いつの時代にも。それぞれの人に。 

 

 

(5)死にたくなったら電話して/李龍徳


死にたくなったら電話して

死にたくなったら電話して

 

タイトルからしてわたしの好きなやつ(興奮)。

「死にたくなったら電話して」と徳山に言った初美のように,人間が繰り返してきた残虐な歴史に目を輝かせることはないけれど,それが人としての醜さ,弱さ,脆さを示すのであればそういうものだろうなと思わざるを得ない。生きることの素晴らしを高らかに宣言されるよりもそういった冷めた目で語られることの方がよっぽどしっくりする。死ぬ,死なない,なんてそういう次元の話ではなく,どのように生きることを辞めるか,その流れがいい。ゆるやかに終息していく物語の断ち切り方。ああ、これは物語だったと目が覚める。知らず知らずに自分も引きずり込まれていたことに気付く。徳山も読み手も引き込まれてしまうのはどこか共鳴してしまうものがあるから。初美はそれほどぶれない存在。

 

 

(6)私を知らないで/白河三兎


私を知らないで (集英社文庫)

私を知らないで (集英社文庫)

 

『死にたくなったら~』が「静(というより無)」なら,これは「動」。鋭くて鮮やか。けれどもどこか現実味のない物語。だからこそ映える鮮烈なキャラクター。読みながら「いい!いい!こういう話大好き!」と叫びたくなっていた。

自分なりの世界との関わり方、ルール。それを持っているということは、「生きる」ことに対する覚悟なのかもしれない。それがわたしの感じた「動」であり主人公が感じていた「タフさ」かもしれない。でも時にあどけなさが見えるのが微笑ましく彼らが中学生であることを思い出す。読み終えてから冒頭を読み直すと今まで読んできた出来事が一気に駆け巡った。

 

 

(7)ほんとうの花を見せにきた/桜庭一樹


ほんとうの花を見せにきた

ほんとうの花を見せにきた

 

最初の一篇を読んだら表紙を見て欲しい。本を閉じた時に目に入ったその光景にまた胸がいっぱいになった。この一篇がたまらなく好きでしゃくりあげるほどに泣いた。ずっと,ずっとひりひりとした緊張感があって穏やかに物語は進むのに不安が拭えなくて,この先に不穏なものを感じてしまって,先に進むのが怖くてどこかびくびくしながら,怯えながら読んでいた。

”ムスタァ,僕のバンブー”

この言葉がずっと頭の中で鳴り響く。竹から生まれた吸血鬼バンブー2人と人間の少年。一緒にいたいのに、一緒にいられない。嫉妬、疎外感。人間は,火だ。簡単に消えてしまう。けれども火はあたたかい。生きているということ。火はいつか消えてしまうけれど,自分で未来を決めることができる。あたたかくて切なくて胸が締め付けられる。締め付けられた分だけ涙が溢れる。ただ文字が並んでいるだけなのにこんなにも心が揺さぶられるなんて。だから本はやめられない。

表紙。黒い服を着た二人の大人は家を向いて、でも完全には向いていなくて背を向けている小さな子どもは白い服、こちらに向かって歩いてくる。手に持った赤い果実。ムスタァ、僕のバンブー。

 

 

*     *    *

 

今回はわたしの嗜好にそって挙げてみた。一年くらい前までは,とにかく新しい本を!人気作家の本を!話題書を!とある意味追われるように読んでいた気もするけれど,最近は読みたいものを読みたいときに,という感覚で読書をしている。 

並べた7冊は,わたしのなかではだいたい同じくくりにあってこういう小説が好きなのだけれど,同じものを読んでも感じることは人それぞれだろうから好き嫌いとか面白い・つまらないがわかれるのも当然で。でもやっぱりじぶんと異なる感想を書いている人には興味がわいちゃう!!それに関して最近思ったことは,感想云々よりまずその本を手に取った母体からして違うんだよなあということ。たとえば巷で有名な家族の本。あれこそうきうきしながらレビュー見にいったけれど,まあ見事なまでの賛否両論!過激なまでも賛否両論!!一方,ここで一つ目にあげた「デブを捨てに」。内容を考えたら好き嫌いはっきりしそうなものなのにレビューは概ね好評価。みんなにやにやしながら読んでいる。つまりは読む人しか読んでいないんだよね。この本を手に取るという行為そのものが好みの線引きになっているから母体がすでに限定的。結果,選んだ人はだいたい面白く読めるだろうなという話。でも家族の本は身近なテーマにキャッチ―なタイトル,そしてベストセラーの話題書。普段は読まない人も症状に自覚している人もしていない人も無関係な(だと思っている)人もとにかく色々な人が様々なことを期待したり期待しなかったりで読んでいる。それだけ母体が多種多様だったらそりゃレビューも過激に全方位から出てきますよね!!って感じ。読んだあとの感想も人それぞれだけれど,そもそもその本を読もうと思ったきっかけも人によって違うしそれによって母体も変わってくるんだよなあ,なんてことを今更ながら実感した年でもありました。

 

少し前に梶井基次郎を読んで,「やっぱり檸檬かっこいいな!!!!!」って思ったり,『女性作家が選ぶ太宰治』に,「うう・・・太宰,いいよ・・・」ってなったりしていたので,今年はそのあたりの本も(もう一度)読みたいなと思っています。わくわく!!