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きらきら

“永久未来続くものなどあるはずはないから これで行くさ僕は僕を壊してく”

明日、ママがいない

 

全話通して観て、毎回泣いた。最終回はずっと泣いて泣いて泣きじゃくって観終った後の私の目がえらいことになっていた。

 

このドラマをどのように観て何を思い何を考えたのか。

実はそういうことよりも、もっと感情的な部分で揺さぶられるドラマだった。私にとってはということだけれど。確かに初回はもう全体が暗くて圧迫感があってただただ恐怖を煽るような色味を帯びていたけれど。回を追うごとに(局側の改善の結果なのかはじめからそういう展開だったのかはわからないけれど)子どもたちのまっすぐな感情とかこらえていたものをぶちまける激しさとか全力で生きている強さとか、そして見守る大人の心強さに温かい気持ちになることが多くなっていた。涙したのってそういう場面。

 

ロッカーが妻に暴力を振っていた男を殴ったときからのドンキの表情、他者を貶める行動を取り始めたところがとても怖かった。子役ってすごい。というかこのドラマ、子役がすごい。一人、また一人といなくなり広くなっていく部屋が映るたびにとても寂しくなった。最後はポスト一人だけ。喋らないけれど頷いてくれるだけで、そばにいてくれるだけで、料理を作ってくれるだけで、いや、そういうことで相手に十分なものを伝えてくれるロッカーの安心感。最後の方は言葉もだけれど表情が見えるくらいに顔を上げていたのがとても印象的だった。水沢さんの(少しぎこちないけれど)心からの微笑みとか。もうアイスドールじゃなくなった。そして魔王。魔王がポストに伝えた「寂しい」という言葉。生まれてきてから育ててきた娘、ポストがずっと身に付けていた赤い飾りのヘアゴム。似ている二人。父娘として遊園地で過ごしているときの魔王の穏やかな顔がとてもよかった。煩悩の数だけ子どもを送り出すことで贖罪としてきた魔王が、「あと何人だ」と救いを求めてきた魔王が、解放されたあとの表情はとても穏やかだった。オツボネが「施設長」と呼んだのも意味があった。オツボネとロッカーの居場所はコガモの家なんだろうな。他の子どもたちは自分で自分の居場所を決めた。香織さんとやり直すことはできなかったけれど、バスに乗る香織さんの表情は、自分で歩いていくと決めたすがすがしさがあった。やりたいことを続けることを選んで婚約を解消された水沢さんも。

 

子どもは大人が思っている以上に物事を理解していて、よく考えていて何かを守るために嘘も吐く、わかっていない振りもする。誰よりも自分の美貌と才能を認めながら父親といることを選んだピア美、好きな人に捨てられて傷付くくらいならと実の母親を選ぼうとしたドンキ、自分なんかがという思いからこれでもかと嫌がられそうなことを突き付けたボンビ、そして人を好きになってしまったから、愛してしまったから、自分の存在を消してまでこの世にはもういない子どもになろうとしたポスト。ポストの対等に、もしかしたら大人以上に大人に訴えるその強さはそれぞれに伝わっていたのだろうな、自分の気持ちに正直になるために。ピア美がポストに「ありがとう」と言うところ、本当によかった。両親が死んでいることも、目の前に現れたのは母親じゃなくてその妹だということも気付いていたボンビ、あそこで初めて結構泣いたかも。最後に生でジョリピをやったのは笑ってしまった(やっぱり魔王はやらなかったけどさ!)

 

子どもたちの結束、近いからこそ痛いほどにわかるお互いの本音、だから衝突もする。自分の居場所は自分で選ぶ、捨てられたのではなく自分が親を捨てて。人の幸せを自分の尺度で測るな。

とてもいいドラマだった。感情が揺さぶられるドラマだった。希望があった。

親と離れて過ごすことを余儀なくされた、そういう設定だからこそ強く浮かび上がることもたくさんあったはずだけれど、描いていたのはそこに限定されることではない、すべての子ども、そして大人に重なることだと思う。

 

ポストがそれぞれに、本当の名前を呼ぶのもよかった。ポストの名前はいつわかるかと待ち構えていましたが(魔王が自分の気持ちを伝えるときに、ついに呼ぶか!と思ったのに呼ばなくてがっかり)、キララでしたか!最後の最後に、しかもプリクラでしたか!ということは魔王が付けた名前だと考えていいですか!

 


 

主題歌もとても好きだった。

かわいそうね かわいそうね 本当にね

優しくされたら 泣いちゃうから

(作詞が野島さんなのだけれど)いつもこの冒頭の歌詞にドラマの余韻を引きずりながら泣いていた気がする。

 

 

誰か私を

誰か私を