12/25 映画「永遠の0」 劇場鑑賞
“泣ける映画”という触れ込みだったけれど、私の中ではそうじゃない
鑑賞後に感じたのは“胸に突き刺さる映画”
それは痛みとか悲しみとかだけではなくて愛とか温かさとかも含めて
その結果、涙を流す人もいるだろうし流さない人もいる
泣く、泣かないはあくまで何かを感じたことによって生まれたものだけれど
その何か、
私にとっては観終わった後、胸の内に重くのしかかってきたもののような
それは人によって違うだろうけれど、
何かが迫ってきてそれを受け止めざるを得ないようなものがあった映画だった
とは言っても、私は後半ずっと涙が流れていたのだけれど
そして本当は、冒頭、単機で米軍に向かう零戦を見たときにすでに胸が詰まっていた
操縦する手元だけで
それが誰なのか、この後どうなるのかわかってしまったから
というよりも知っていたから
百田さんも冒頭(空母を見たときに、だったけれど)で号泣したと語っていたけれど、原作を読んでいるということはこのあたりが辛い
原作は一度読んでいて、公開直前に読み直したから細部も覚えていたりして
だから戦況の熾烈化とか、幹部と実戦部隊の乖離とか、
零戦を始め戦闘機の技術的な面とか
なぜ特攻が生まれて、そしてその後も続けられたのか
そして特攻隊員がどのような想いで、出撃前の夜を過ごして空に向かったのか
そういったものは文字で細かく読んでいただけに少し物足りなかったようにも思う
特に特攻の日を迎える人たちの、志願せざるを得なかった、本心を残すわけにはいかなかった状況、押し殺した想い、葛藤
原作は戦争の渦中にいた幾人もの人達(たとえ主要な登場人物でなかったとしても)の人生や生活が垣間見える中で宮部が立ち上がってきた印象だったけれど
映画ではあくまで宮部久蔵ひとりに焦点が当てられ、他の人達の背景はそこまで描かれていなかったように感じた
これは私の感想だし、小説と映画は作品として見せ方も異なるものだと思っているから、そうだったんだなという理解ということです
でも、だからこそ映画だから目にすることが出来る宮部久蔵の表情に
言葉はなくても表情だけで、何かを押し殺していたり抱えている姿に
何度も涙が流れた
最初に泣いたのは小山が不時着するところ、その後も学生たちの敬礼、
再び戦地に向かうときの松乃との会話
鹿屋基地で壁にもたれかかって膝を抱え、目だけがこちらを向いているときの、でも何を見ているのかわからない姿がぞっとするほど怖かった
零戦の前で家族の写真を舐めるように顔を近づけて指で辿っているときなんてどうしたらいいかわからないくらいに恐怖を感じた
あんなにも人は変わるのかと、いるはずなのにもうここにはいないような、宮部のまわりだけまったく異なる、真っ暗な、光が見えない空気、空間
観ながら気になっていたのは、井崎や景浦が宮部と関わった後、どのようにして生き残ったかがほとんど描かれていなかったこと
海を泳ぐシーンも少しだったし、景浦が宮部機を見失ったというのも語るだけだったから
と思っていたら
最後に、すべて最後に
宮部の最期とともに
それまでにも現在の井崎や景浦が語る言葉や宮部の台詞の存在感は大きかったけれど
宮部の最期と共に織り込まれる数々の場面には本当に涙が止まらなかった
宮部の最期がラストだろうことは予想していたけれど、どこまで描くのだろうと思っていた
祖父も含めすべての人が語り終わり、健太郎たち家族も祖父の家を去り、祖父がひとりで想いを馳せた後のラスト
海を必死に泳ぐ井崎、不時着しながらも笑顔で手を振っていた小山、
エンジントラブルに焦る大石に近寄り、戻るように指示した宮部の表情、景浦の許してくださいという言葉…
始めに乗り込んだゼロ戦の不具合を見抜いて天を仰いだとき、ここで一番泣いたかもしれない、また自分は生き残りのくじを手にしてしまった、そのときの表情が
そして視線の先にいた大石が
大石が宮部の手紙を見つける場面が
あのラスト、宮部のあの表情で映像は途切れ、タイトルが出る
語られるだけだった場面が次々と織り込まれ、健太郎が見たものだったのかもしれないけれど、声が、必死に生きた人たちの姿が、そして宮部が
色々なものが凝縮された最後にただただ泣くだけでした
うまく言えない感情がとにかく突き上げてきてちゃんと最後を観たいのに涙で滲んでた
最期の表情はもっと解放された表情かなと思っていたけれど(それは景浦が見た零戦に乗り込むときだった)、これが岡田くんが出した表情だったんだなと、なぜかすごく冷静に見ていた自分もいた
決してひとことでは言えない様々な感情
やっぱり景浦の存在はすごかった
宮部に頭を抱えられたあのときの景浦、そして健太郎への抱擁
機体を交換した学生の名前が明らかになるところの衝撃は原作の方がわかりやすく衝撃的だった(衝撃を求めているわけではないけれど)
血まみれの刀で救ってくれたのは誰だったのだろうなという祖父の言葉
松乃の死に際に宮部さんが迎えにきた、という話を期待していたのだけれど(原作ではここに救われたというか胸がいっぱいになって、でも幸せな気持ちになったから)
でもあくまで宮部は過去にとどまる人であったのかなと、それに葬式で泣き崩れる祖父の姿だけで(真実を知っていたから)辛くなってしまった
祖父が現代を生きる次の世代に語った言葉は、あまりにもわかりやすく語られたメッセージだったけれど、原作にはない(と観ているときに思った)という意識が向いてしまったことでストーリーの中で捉えられなかったのかもしれない
あと、戦後の松乃のかたくなさに宮部への強い想いを感じて辛かった
なぜ宮部は死んでしまったのか、わかっているつもりだけれどそう思わずにはいられない
だからこそ、二人が抱き合うシーンはあまり好きにはなれないというのが本音
年数も経っていて少しずつでも変化があったのだろうけれど、その後の人生を一緒に送ったという事実がある以上、そこまで描いてほしくなかったというか
生まれ変わりだというあの言い方も、大石には辛くなかったのだろうかとも思った、宮部として自分が見られているという意味で
実際に結婚後、まったく宮部の話はしなかったということだし、逆にそれが辛くもあるけれど
そんな大石を演じた染谷くんは撮影中、事あるごとにプレッシャーをかけられていたということですが(なぜそれほどまでに迫られていたのか、もちろん知ってはいましたが)、他の人たちの回想に実は映り込んでいるのを私は同時に見つけておりました
後から大石目線でも描かれているのだけれど
そして岡田くんは、宮部久蔵でした
声がまさに宮部だと思った、優しくて穏やかな、でも深みのある声、もちろん表情も
演じているのは岡田くんだと理解しているのに、そこにいるのは宮部でしかなくて、でも横顔とか鼻筋を見ながら整った顔をしているなあと思ってしまったことも事実ですが
雑誌やインタビューの内容を思い出して、このシーンのことかと思ってしまうのも良し悪しですね、意識がそれちゃうというか
でも本当に宮部は他の人たちが語り得るほどに、現在も大きな存在感を持つということに説得力のある人だった
それでいて、あの狂気
言葉にすると「まるで別人だった」という一言で済んでしまうけれど、本当に同じ人だとは思えない怖さ、それを演じたのだと今改めて思うと本当にすごい役者さんだなと思う
宮部の姿で強烈に目に焼き付いているのはここだったりする
そして説得力という意味では本人が言っていたように背の高さは重要ではない、ということ
本当にそうだったなと、(記事で)読んだときもその捉え方にはっとしたのだけれど、鑑賞後もそれは揺らいでいない
そうやってはっきりと言葉に出来る覚悟がすごいと思う
眠れない夜が続いたとも言っているけれど、宮部の役に名前が挙がり、そして形になった
ナチュラルな若者の演技から何かを背負う大人へ、と考えるとその変化がとてつもない
映画のテーマと関連して、自分の生き方とか、時に父親とか家族とか、そしてメンバーとか、そういった話を目にする機会も多かった
あとは後輩を可愛がる33歳のおじさん…!
もちろんそこには、これからは自分が伝えていく立場だという意識があるのだろうけれど
この一年で(お茶の間の)岡田准一像は大きく転換してしまったのではないだろうか!
号泣はしなかったけれど泣きっぱなしだったから、目が赤くなっていた
敵に零戦が向かっていくときの音楽がまた、不安と緊張を煽るもので同時に切なくなる
零戦と共に生きた宮部は強く優しくある一方、様々な想いを秘めたその表情は切なくも儚くも感じた、そして時折見せる内に抱えている感情の爆発も
零戦の傍にいたり、機体を触っている宮部の絵がとても好き