きらきら

“永久未来続くものなどあるはずはないから これで行くさ僕は僕を壊してく”

容れ物

 

私という存在について、理屈ではなく感覚まで手繰り寄せてしまって本当に久々に気分が悪くなった

世界が回りかけた

 

どうして私は私なのか、ではなくなぜ私はこの身体の中にいるのだろう、そもそもどうして私という存在が生まれているのだろう、私をのぞくすべての他人が私でないならば

地球上にいるすべての人が他人で、私という存在がなくてもおかしくないのにどうして私という存在が息をしているのだろう

そしてそんな私が容れ物でしかないこの身体から抜け出すことは永遠にない

 

そう思い知ったときの、行き着いたときの気味悪さ、辿り着く答えはいつも同じでいつも同じ感覚、答えは出ていないのに行き止まり

そこで世界が回り始める

 

そしてその後いつもすることは、少しずつ自分の身体を“自分で”動かしてみること

視線、顔、腕

やっぱり私はここから外に出ることはできない

私は私でしかない、私を動かしているのは私であり私を動かせるのは私しかいない

 

私は、私のままだ

 

感覚を伴って自分をえぐりながらこういうことを考える

そもそも感覚が生じるまで入ってしまったのは久々だった

小学生の頃はよくあったし、少し前も時々はしていたような記憶があるけれど

でも昔ほど鮮明な不気味さ、気持ち悪さは起こらなくなったような気がする、入りかけて、でもそれ以上踏み込めずに戻ってきてしまう

 

これってどういうことだろう、理屈が先回りしてしまうのかな、ある意味、その気持ち悪さに漂うことも楽しんでいたりもする

小さい頃はそこから抜け出せなくて混乱したこともあるくらいなのに、今は掴みかけたらするっと逃げていってしまう

かといってまったく考えなくなったというわけではなくて、感情が迫ってくる前に、言葉でかたちにしてしまうようになったのだと、自分で理由付けをしながら私というものを考える

言葉で自分を定義し、切り取り、組み立てて、新しく色を付ける

胸に感情が湧き上がるよりも先に頭の中に言葉が並ぶ、そういうことだ

だから言葉なしに(いや、考えているから言葉はあるのだけれど)込み上げてくる感情に神経を研ぎ澄まして膨張させる、そういうことをしたのは久々だった

 

なんでそうなったのかはわからないけれど、ぱったりと急降下して沈んでしまっていたというのはある

あの潮が引くように一瞬にして落ちていくのはなんでだろう、自分でもわかるくらいにまざまざと、そしてそういう変化を感じている自分も不思議だけれど

 

一度手放してしまった感覚の余韻が微かに残っているものだから、その後何度かそこに入ろうと試みたけれど(わざわざそんなことをしなくてもいいのに、やっぱり癖になる感覚なのだろうか)、最初ほど入り込めないままだった

 とりあえず今は久々にそういう気味悪さを味わったという事実だけ

 

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